『ガラテイア2.2』リチャード・パワーズ【4】


この小説の構造が少しずつ見えてきました。どうやら、この小説は3つのパートで構成されているようです。思考するマシンを作るというレンツ博士との共同作業の様子、かつての恋人Cとの日々の回想、南行きの列車から始まる新しい小説をめぐる思索。これらが、交互に描かれていきます。
この中で、最も難解なのは、もちろん人工知能のパート。コンピュータや脳科学の知識がない僕には、ついていくのがやっとといったところです。しかも、レンツって人物はなかなかのひねくれ者で、妙に文学や芸術に詳しかったりもする。常にイヤミったらしい口調で、相手に皮肉を投げつけます。この科学用語や文学的知識をちりばめた皮肉は、その素養がないとなかなか意味を取りづらいところがあります。読むのに難儀する一因です。僕もおぼろげにしか理解していませんが、おいおいわかってくることを期待して、先に進みます。


秋がやってきます。ここから、「僕」は回想に入っていく。この小説の回想シーンはどれもそうですが、このパートも美しく切ない文体で綴られています。

しばらくすると、カレンダーは地雷原になった。あの年の秋は、多すぎる記念日を避けて通るのが大変で、どう一歩進んでも爆発するくらいだった。テイラーのセミナーは英文科教室棟の屋根裏部屋で行われていて、あの秋に、十八歳で、僕は自分の世界地図を初めて見つけた。初めて授業を担当したのは、Cが受講したやつで、三年後の秋だ。二十二歳の秋、僕は修士総合試験に合格して、できるかぎりUから遠ざかろうとした。
秋から秋へ、そうした秋から今この秋へ、どうやって渡っていけたのか自分でもわからない。年齢とは断続的によろよろ進むもので、まるで故障しかかっている冷蔵庫の圧縮機みたいだ。身体ばかりでかくて不器用な青年が、古いローラースケートをはき、沈み込み帯にある崩れかけた歩道を縫って進んでいるようなものだ。しばらく一旦停止して、まったく動かなくなり、それからある日の午後に、遅れを取り戻そうとすごい勢いで発進するのである。

秋、センチメンタルな秋。比喩が比喩を呼び、美しいハーモニーを奏でています。冷蔵庫がブーンと唸り出すように、年齢が進み出す。年齢もそうですが、記憶というのも、それに似ていますね。ふとしたはずみに、ブーンとよみがえってくる。
こんなフレーズもありました。

中庭の存在理由は、一年が終わる最後の週のさわやかな青空の中で、幾世代にもわたる学生の悲しみが横たわるためだ。

僕の学生時代も、よくキャンパスの芝生の上で、友人とだらだら過ごしたものでした。この小説を読んでいると、そんな記憶がブーンとよみがえってきます。なぜ、「悲しみ」が横たわっているのか。それは、このモラトリアム期間がいつか終わってしまうからじゃないかな。そんなことを、36歳の僕は思ったりします。
小説の話に戻りましょう。当時の「僕」は、Uの大学で文学の授業を受け持っていて、Cはその生徒でした。「僕」は父親を亡くしたばかり。父親の期待を裏切って文系に転向したことが、「僕」の胸につかえている。黙り込む「僕」に、Cは「話して」と言います。そして父親への思いを打ち明けたことがきっかけで、「僕」はCに恋してしまう。秋、恋に落ちる秋。
さて、次は人工知能のパートです。レンツ博士による「文学を解釈する人工知能」の賭けはどのようにして行われるんでしょうか。修士試験用の文学作品リストから任意に選んだ作品について質問に答え、それが人間の答えと区別がつかなければ、レンツの勝ちということになるようです。
レンツの賭けの相手である同僚の科学者は、ダイアナ・ハートリック、ハロルド・プラヴァーら、ジャッジをするのはラム・グプタ。これらの人物は、のちのち言及されると思われますが、とりあえず、脳科学を研究しているということを押さえておきましょう。つまり、脳の専門家を騙せなければ、賭けには勝てないのです。
果たして、コンピュータが、脳をシュミレートすることができるのか。もう少し正確に言えば、脳をシュミレートしているように見せかけることができるのか。脳の仕組みはどうなっているのか。人工知能の仕組みはどうなっているのか。このあたりは、読んでいても何となくしかわかりません。ただ、脳やコンピュータに関する科学用語を、パワーズが積極的に小説言語として取り入れているところは、ちょっと興味深いです。例えばカフェテリアでのこんなシーン。

その代わり僕は読んだ。論文はだんだん読み通しやすくなっていった。指導の下でトレーニングを受ければ、ネットは賢くなって、どのような入力でも望みの出力と結びつけることがうまくなるという。そして僕も読んでいくうちに賢くなっていった。
しかし脳は大がかりな並列処理をする。僕は論文を読みながら、視界の隅から、誰かがジュースのボトルとバターフライを持ってぎこちない足どりでやってくるのを見た。

くり返し入力するうちに、正解のネットワークが強化され、誤答のネットワークが弱くなる。そうやって、トレーニングするうちに賢くなっていく。脳の仕組みも人工知能の仕組みの、このようになっているようです。という論文を読んでいる「僕」の脳も、同様の働きをしている。という小説を読んでいる僕の脳も、同じように働いているんでしょうか。この入れ子構造が面白いです。
僕も、この小説を読んでいるうちに少しずつ賢くなっていればいいな。いきなり、正解にたどり着けなくてもいいんですよ。難しいところは取りあえず、わからないままにして、先に行っちゃえばいいんですよ。くり返し入力してるうちに、だんだんわかってくればいいなと思っています。ちなみに、「DOUBle HoUR」の「読んでる途中で書いてみる」ってのも、そのわかってくる過程を楽しみたいってことだったりします。

我らが未来の大脳は、本質的にはニューロンを持たない。軸索も樹状突起もない。シナプス結合もない。そうした構造はすべてシュミレーションに隠れ、標準的な直列記憶部で真似られている。プール演算子という裸のトロイカがそれをメタファー的な存在に仕立てあげる。アルゴリズムを使って非アルゴリズム的システムを模倣しているのだ。A号機は幽霊のようなホログラムである。

何が書いてあるのかよくわかりませんが、人工知能は脳の仕組みを模倣しているのではなく、脳の働きを模倣しているんだ、ってことかな。「A号機はメタファーをこしらえる神経機構のメタファーを作ろうとする試みだった」なんてフレーズもあります。そして、この小説も、脳のメタファーになってるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか。
「A号機」は、レンツと「僕」が制作した人工知能の第1号機です。「僕」は、A号機にひたすら言葉を与え続け、それを意味のある配列に並べ替えられるようトレーニングをします。様々な単語や文章を読み聞かせる。入力、入力、入力。そして、これにより、「僕」もまた、少しずつ脳について学んでいきます。だんだん賢くなっていく、A号機と「僕」。
しかし、一方で、「僕」は小説を書けなくなってしまいます。

僕はつながりを失ってしまった。駅に一人取り残されて、もう書きたくなくなっていた。想像も、共感も、推敲も、もううんざりだ。やりたいのは、A号機に単語頻出リストを読んでやることだけだった。


ということで、今日はここ(P91)まで。脳とか人工知能とか、ハードな話題のように思えますが、その裏には「記憶」や「学習」や「言語」といった、文学的なテーマがあるようです。