『どんがらがん』アヴラム・デイヴィッドスン【6】


ここに収録されたデイヴィッドスンの作品は、どれも変な話です。でも、どこに「変さ」があるんだろうと考えると、「奇想」の部分よりも、実は「書き方」のほうにあるんじゃないかという気がしてならない。
殊能将之は解説で、「独特の文体」としてその読みづらさについて書いています。

どことどこがつながるのかよくわからない饒舌な文章が長々とつづいたあと、突然、いくつかの単語だけの断片的な文が挿入されたりする。後期になるとますますひどくなり、“But.”や“Now.”といった文(?)が頻出する。日本語に置きかえれば、文章の係り結びがわかりづらいうえ、短い体言止めがやたらに多いという感じだろうか。それなら確かに悪文だ。

要するに、わかりづらい文章だと。デイヴィッドスンがわざとそうした文章を書いているのかどうかはわかりませんが、この読みづらさがある種の魅力になっているように、僕には思えます。
強弱がおかしいんだと思います。キーとなるべきように思えるものを省略し、さらっと流してもよさそうなところをくどくどと描写する。回りくどい説明や、思わせぶりなほのめかしもたびたび出てきます。それが妙な引っかかりになって、話の構造がよくわからなくなるんですよ。どこに力点を置いて、どこに向かって進んでいるのか、なかなか見えてこない。見えないから、読みづらいなあと思うわけです。
これは、僕が物語の展開を予想しながら読むからですね。でも、予想通りになんかならないわけです。デイヴィッドスンは、こうした表面に見える物語とは別の物語を紡ごうとしているように思えます。結末まで来てそれが何なのかわかってしまえば、これまでの描写を別の角度から見ることができます。すると、くどくどした書き方や、大胆な省略はそれなりの意味があったことがわかります。これまで読んできた物語が、最後で別のものに変わっていく。ただし、はっきりと結論が示されていることは稀で、ほとんどの場合、透かし絵がじわーっと浮かび上がってくるように、裏側の物語が見えてくるといった感じですね。
これが、快感なんですよ。あっと驚くどんでん返しというよりは、じわーっと見えてくる。わかりづらい文体だからこその快感だと思います。
ちなみに、収録作品のベスト5は、以下の通りです。
1「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」
2「ゴーレム」
3「サシェヴラル」
4「ナポリ
5「さもなくば海は牡蛎でいっぱいに」or「尾をつながれた王族」


ということで、『どんがらがん』については、これでおしまいです。どんがらがんどんがらがん(←めでたしめでたし、みたいに読んでください)。