『どんがらがん』アヴラム・デイヴィッドスン【5】


そうこうしているうちに、読み終えちゃいました。残ってたのは3編。どれもこれまでの作品に比べると、ちょっと長めの短編です。


「すべての根っ子に宿る力」
サント・トーマス郡の警察官カルロスが病院にやってくるところから始まります。「頭が割れそうなんです。眩暈がするし、痛みもあるし、目玉がふくれあがって、胸が焼けて、心臓もやっぱりそんなふうで」と症状を訴える。しかし、彼の本当の悩みは、これ。

周囲のみんながこの自分を見るや、突如として――ときには文字どおり一瞬のうちに――変貌(へんぼう)して、おそろしくもまたすさまじい悪魔的な形相になるのはなぜなのか、カルロスには合点がいかない。みんなの顔はふくれあがり、幼いころにフィエスタのパレードで見たモーロ人のお面や、行事のあとで焼かれる藁人形(フダス)などよりもおっかない顔に見える。同時に、あたりの空気がかっと熱くなり、ひとの声はしゃがれて、なにやらいやらしいことをささやきだす。

「周りが俺を憎んでいる」「周りが俺を蔑んでいる」となると、被害妄想の気が疑われますが、どうやらカルロスの目には本当に周囲の人びとの顔が変容して見えるらしい。でも、そのことは、さすがに医者には打ち明けられません。結局、医者の下した診断はこんな感じです。

「体の不調の九十パーセントまでは」と、鼻の奥でおごそかな、もったいぶった音をたてながら、「排泄(はいせつ)機能がじゅうぶんに働かないことに起因している。排泄の回数が不十分だと、体組織が中毒を起こす。いいですか、巡査さん――体に毒がまわるんです! その結果がどうなるかを調べてみると――わかってくるのは――」(中略)「――頭。胸。目。肝臓に腎臓。泌尿器。背中。腰。脚。全身がね、そう、衰弱してくる」ここで声をひそめ、ずいと身をのりだして、なかばささやくように、なかば押しつけるようにつづけて、「つまり機能不全におちいる、と……」目をとじ、くちびるをかたく結び、後ろにそりかえり、鼻孔をぴくつかせ、小さくこくこくと何度もうなずいてみせる。それからいきなりぱっと目をあけ、眉(まゆ)をつりあげる。「ね?」

医者が言う「機能不全」とは、つまり男性機能ということらしい。このマッチョなこだわりが可笑しいですね。男たるもの、夫たるもの、警官たるもの、「たるもの」という抑圧に押しつぶされて、カルロスはどんどんとんでもない行動に及んでいきます。
てことはやっぱり、人びとの顔が悪魔に見えるというのは、追いつめられたカルロスの被害妄想じゃないか、という風にも読める。読めるんですが、そうじゃない可能性をほのめかして物語は終ります。裏側の物語が透かし見えてくる快感。このあたり、デイヴィッドスンの得意技でしょう。


「ナイルの水源」

ボブ・ローゼンがピーター・マーテンス(“オールド・ピート”、“こそこそピート”、“あわれなピート”――どれでもお好みのものを)と、最初にしてほぼ最後に会ったのは、レキシントン・アヴェニューのラザフォード社でのこと。そこはレキシントン・アヴェニューに面したのっぽでおしゃれなビルのひとつで、のっぽでおしゃれなOLたちが勢ぞろいしていた。ボブは彼女たちの目に映る自分が、絶対にのっぽでおしゃてとはいえず、今後もけっしてそうなりえないと自覚していたから、のんびりと椅子(いす)にすわり。周囲の景色をたのしむことにした。テーブルの雑誌までがおしゃれだった。〈スペクテーター〉と、〈ボッテーゲ・オスクーレ〉と、〈ニューヨーク州地理学会月報〉だ。ボブは月報を手にとり、「ジャクソン・ホワイトの人口統計学的研究」のところをぱらぱらと拾い読みした。

冒頭の一節です。しつこく「のっぽでおしゃれな」とくり返されていますが、もちろんこれはイヤミ。そう、「おしゃれって何なんだ?」って話なんですよ。ボブは売れない作家、ラザフォード社は広告代理店です。この作品では、「自分たちが流行を生み出している」と自負している人たちの姿が、スラップスティックに描かれています。
ボブの前に現れたピートという老人は、流行がどうやって生まれるのか、その「ナイルの水源」を教えてやろう、と言います。そんなものがあったら、誰だって知りたいでしょう。それを聞かされた貧乏作家に、金に糸目をつけない広告代理店がとびついてくるというお話。
「ナイルの水源」の正体は読んでのお楽しみですが、思いのほかバカバカしい答えが待っています。そんなもので、世の中が動いているのかと思うと、脱力。デイヴィッドスンは、マーケティングやら広告やらに汲々としている世の中を、おちょくってるんでしょう。君らのやっていることはこんなにくっだらないことだ、と言わんばかりです。


「どんがらがん」
この本の表題作にして、一番長い作品。一見、異世界ファンタジーのように見えますが、「大遺伝子転移後の世界」というSF的設定が背後にあるようです。でも、それはあんまり本筋に関わってこない。そのせいか妙な雰囲気の漂う作品で、どうにもつかみどころがありません。
「どんがらがん」とは、巨大な音とともに弾丸を遠くまで飛ばすことができる大砲のようなもの。これを曳きながら移動する種族が登場します。彼らは、この「どんがらがん」の脅威を使って、訪れた村から食料を調達して生きています。
この設定はすごく面白いし、主人公の図々しい悪党ぶりも楽しいんですが、最後の結末はちょっと拍子抜け。一度使ったらアウトの核兵器の寓意でしょうか? うーん、もうちょっとひねって欲しかった。デイヴィッドスンは、短い作品のほうがいいようですね。


ということで、読了です。
全体のまとめは、あとでやります。