『酒国』莫言 【5】


「第三章」の続き、酒国市の大学院生・李一斗くんの書簡、「李パート」です。
李くんは、莫言の『赤い高粱』という小説に登場するエピソードに絡めて、尿と酒の関係についてぶち上げます。

童子の尿は地球上もっとも神聖神秘な液体であり、その中にはどれほど貴重な成分が含まれているか、誰も良く分からないのです。日本の首相は健康と精神爽快のために毎日一杯の尿を飲みます。わが酒国市共産党委員会の蒋書記は児童の便で蓮の実粥を煮て食べて、長年の不眠症を治したのです。尿というのはなかなか不思議なのです。尿は人類のもっとも素晴らしい象徴であります。

何を言ってるんでしょうか? 尿を飲んでた首相の話なんて、初めて聞きました。誰のことだ? 竹下登とか、似合いそうですが…。さらに、尿の話をしていたはずなのに、いつの間にか、便で粥を煮るなんてすさまじい話になってる。中国人の食に対する冒険心には、驚かされます。それにしても、幼い男の子が出てくると「シモ」の話になりがちなのは、この小説の妙なクセですね。稲垣足穂を連想させます。
もうひとつ、李くんは、前回の「肉童」という小説についてもコメントしています。

前回お送りしました『肉童』は、ルポルタージュではありませんが、ルポと変わりありません。酒国市の一部の腐敗は行くところまで行っており、良心のかけらもなくなった幹部が赤ちゃんを煮て食うというのは全く事実でして、現在調査が進んでいるとのこと、この事件がいったん明るみに出るや、必ず世界を震撼させることでしょう。

はい、「丁パート」とリンクしてきました。酒国市で行われていることを、李くんが小説にして莫言先生へ送る。それを読んでインスピレーションを得た莫言がこの『酒国』という小説を書いている、という入れ子の構造が浮かび上がってきます。そう言えば、この「李パート」の直前にある「丁パート」は、男の子の放尿シーンで終ってました。こういう符合は探し始めると、他にももっとありそうです。


では、「小説パート」へいきます。今回李くんが書いたのは、「肉童」に登場した化け物じみた子どもの話。いわゆる邪悪な子ども、アンファンテリブルのお話。タイトルは、「神童」です。
ストーリーは、「化け物」と名付けられた主人公の少年が、調理学院特別調達所に閉じ込められた子どもたちを扇動し脱走するというもの。それはそれで面白いんですが、ちょっと語り口が気になります。

この夜、月が出ているのは、我々が必要とするからだ。大きく真っ赤な月が調理学院の築山の岩陰からゆっくりと上がってくると、バラ色の光が彼らの顔をやさしく染めた。二重窓を抜け斜めに差し込む月光は、あたかも赤い滝のよう。彼らとは一群の男の子たちで、拙作『肉童』をご覧であれば、彼らはすでにお馴染みであろう。例の化け物もその一員で、彼がたちまち子どもたちのボスというか霸王となるさまは、ゆっくりとこの先をお読み頂きたい。

最初の一文、「我々が必要とするからだ」の「我々」とは、作者と読者を指していると思われます。つまり、物語の都合上必要だと。これは、あからさまな「フィクション宣言」です。「肉童」ではルポルタージュ風とされるほど背景に退いていた作者が、このように「神童」ではちょこちょこ顔を出します。挙げ句の果てに、この特別調達所の責任者である女性のエピソードが紹介したあとで、こんな一節が続けられます。

読者諸君、私はなぜここで彼女をめぐり余計な話を書いたのであろうか。なぜなら彼女こそ私の妻の母であり、ということは醸造大学袁双魚教授の夫人であるからだ。

どうも作者は、「酒国の恐るべき食人の実態を知っている人物が、私の身近にいる」と言いたいようです。ここに奇妙な転倒があります。というのも、フィクションであることを強調する物語に、実在の背景をわざわざ与えているように読めるからです。李くんの前作「肉童」で、ルポと紛うほどに詳細でリアルな描写が、逆にフィクションであることを支えているのと対称的です。
ホンモノのようなニセモノと、ニセモノのようなホンモノ。「丁パート」に出てきた、「スイカの皮ような頭蓋骨というか頭蓋骨のようなスイカの皮」という言い方を思い出しますね。


この章の最後は「莫パート」ですが、莫言先生はこの「神童」もまたベタ褒めしています。李くんの文壇デビューはあるんでしょうか?


ということで、今日はここ(P96)まで。李くんの小説、文体に毎度違った仕掛けがあって、面白いです。