『酒国』莫言 【4】


では、「第三章」へいきます。これからは便宜上、丁鈎児のパートを「丁パート」、李一斗の書簡を「李パート」、莫言の書簡を「莫パート」、李一斗による小説のパートを「小説パート」と呼ぶことにします。


で、まずは「丁パート」から。前章で早くも嬰児の丸焼きが登場しましたが、その続き。
金剛鑽(チン・カンツアン)によれば、これは酒国市が外国からの客人を迎えるときに出す「麒麟の子送り」という料理とのこと。しかし、丁鈎児(ティン・コウアル)は納得しません。怒りのあまり丁鈎児は、鞄から拳銃を取り出し金剛鑽らに向けます。いきなりクライマックス?

お前らは共産党の指導的幹部でありながら、庶民の子どもを殺して自分の腹に収めているのだ。天理において許しがたい! 私には聞こえるんだ。子ども達の蒸篭(せいろ)の中で泣く声が。油と塩、醤油に酢、砂糖と茴香(ういきょう)、山椒生姜に料理酒を浴びて泣く声が聞こえるんだ。お前らの腹の中でも泣いている。便所でも泣いている。下水道でも泣いている。河でも肥溜めでも泣いている。魚の腹でも畑でも泣いている。鯨に鮫、鰻に烏賊(いか)に太刀魚らの腹の中でも、小麦の穂先でも、トウモロコシの実の中でも、大豆のさやの中でも、サツマイモの蔓の先でも、高粱(コーリャン)の茎の中でも、稲の花粉の中でもだ。泣いているだろう? 泣きわめいているんだ。この叫びはとても聴いちゃあいられない。(中略)酒国の宴席には一人一人の殺された男児の身の毛もよだつような泣き声が轟いているんだ。お前らみたいな連中は撃ち殺してやりたい。

かなり怒ってるわけですが、こんなに冷静さを欠いちゃっていいんでしょうか? くどくどと「泣いている」をくり返すあたり、ちょっと尋常じゃない。頼むから落ちついてくれと言いたくなります。酔って頭に血が上っちゃったのかもしれません。もちろん事件そのものが尋常じゃないんですけど、探偵はもうちょっとクールじゃないと、したたかな悪党どもに勝つことはできないんじゃないでしょうか?
そして、ついに丁鈎児は発砲してしまいます。もちろん酩酊状態なので、弾は思いもよらぬ方向へ飛んでいき、嬰児丸焼きの頭部へ命中。もうむちゃくちゃ。本来緊張感に包まれるべきシーンですが、これじゃスラップスティックです。
さて、この丸焼きの正体は、何だったのでしょうか?

砕け散った残りの頭部は食卓の第二層目の端に転がっており、スイカの皮のような頭蓋骨というか頭蓋骨のようなスイカの皮はナマコと海老の皿の間に乗って、タラタラと汁を垂れており、血のようなスイカの汁というかスイカ汁のうような血が、テーブルクロスを汚し、人の目を汚していた。

金剛鑽は一本の箸を握ると、皿の首なし男児のきれいに跳ね上がったオチンチンに勢いよく突き立てた。男の子はたちどころに分解して、肉の山と変わった。金剛鑽は箸で差しながら解説を始める。
「これは男児の腕ですが、三日月湖の蓮根を主原料にして、十六種類の調味料を加え、特殊技術により作り上げたものです。この男児の足は、実のところ特別製のハムです。胴体は生まれたての子豚を原料に特殊加工したもの。弾丸が撃ち砕いてしまった頭部は、銀白瓜であります。髪の毛はごく当たり前の川モズク。(中略)私は責任を持って、この料理は合法的であり、残酷なものではないと申し上げることができます。ですから拳銃なんて無粋なものはおしまいになって、箸を使って下さい」

いわゆる「種明かし」ですが、本当かなあ? どうにもごまかされているような気がしてならない。最初の引用は、莫言による地の文ですが、ここでは料理が本当に嬰児だったのか、それとも嬰児に見立てただけだったのか、慎重に結論を避けた書き方がされています。迷宮的な語り口というか、真実がどこにあるのか混乱させるような文体。作者が読者をペテンにかけようとしている気配を、プンプン感じます。
それに対して、金剛鑽の解説は明快です。ああなるほどと思わせられますし、丁鈎児も結局はこの「特別料理」を口にしてしまいます。でも、仮にこの嬰児が作りものだとしても、わざわざ子どもに見立てた料理を賓客に出すってのは、どう考えても悪趣味でしょう。
それと、もう一つ。この小説のオチンチンへのこだわりも気になります。この小説では、幼い男の子が登場する場合、かなりの頻度でオチンチンについて言及されます。しかも、オブジェを愛でるような書き方をしている。だからどうしたというわけじゃありませんが、引っかかります。それにしても、この料理のオチンチンは、何でできてたんでしょうね。
さて、丁鈎児は、料理のあまりの美味さに、嬰児の腕一本を手づかみでガツガツと平らげてしまいます。すっかり、この料理のとりこになってしまったようです。でも、特捜検事ともあろう人間が、そんなに簡単に懐柔されちゃっていいんでしょうか? 極端なんですよ、いちいち。カーッと怒って発砲したかと思えば、今度は全面降伏。そして、数十杯もの酒を飲まされ、べろんべろんでぶっ倒れちゃう始末。
このあと、炭鉱の地下にあるゲストハウスに担ぎ込まれた丁鈎児は、朦朧としたまま、鱗の肌を持つ謎の少年に出会います。出会うって言っても、勝手に部屋に入ってきた少年を、為す術もなく酔っ払った意識のどこかでぼんやり眺めているだけなんですが…。そのせいか、この一連のシーンは全て、夢の中の出来事のようでもあります。いや、そもそもこの丁パート全体が、酔っ払いの見た妄想かもしれないという気もしてきます。莫言の語り口は、現実と妄想の間の境界線を、意図的にぼやかしています。まさに、酩酊状態の文学。
ちなみに、鱗肌の少年というのは、前章の李くんの小説にちょっとだけ登場していました。これは、李くんの小説を読んだ莫言先生が、自分の小説の中にそれを取り入れたってことでしょうか? このそれぞれのパートのリンクの仕方も気になるところです。


ということで、今日はここ(P77)まで。特捜検事・丁鈎児、ひたすら酔っ払い、いいところを見せる機会をことごとく逃しています。