『酒国』莫言 【3】


徐々に面白くなってくるタイプの小説と、最初っから何かすごいことになりそうな予感がビリビリする小説があるとすれば、『酒国』は後者でしょう。まだ物語が始まって間もないのに、反応したくなるところがありすぎ。


ということで、なかなか進みませんが、「第二章」の第2節。
醸造大学の大学院生、李一斗くんから莫言先生への書簡です。李くんは、尊敬する莫言先生に、文学なんかやめて酒造の道に進んだほうがいいと言われたことに、憤慨しているようです。

莫言先生、私は文学の道に進む決意をすでに固めており、肥えた良馬の十頭でも私を引き戻すことはできないのです。私はスッポンが秤の重りを食べるような悲壮な決意を固めており、先生のお言葉でも従うわけにはいかないのです。文学とは人民の文学であり、あなただけができて私にはやらせない、ということはありえません。

かみつきますね。血気盛んです。ところで、「スッポンが秤の重りを食べるような」ってのは、どんな比喩なんでしょう? 中華料理に関係してるのかな? それにしても、こういうファンから手紙が届いたら、作家は迷惑だろうなあと思います。自分の才能や情熱に疑いを抱かないタイプ。
第3節。李くんの手紙に対して莫言先生は、恨まれては困るので「これ以上不良少年に改心を勧めはいたしません」と返信します。

あなたは「文壇を独占しようとする阿呆ども」を痛烈にやっつけておられましたので、私も愉快でした。もしも本当にそんな文壇を独占する阿呆どもがいるのでしたら、私もあなたと一緒にやっつけてやりたいものです。

大人だなあ。要するに、「誰も文壇を独占したりしないから、まあそんなにカッカしなさんな」ってことでしょう。まともに反論したりせず、「まあまあ」といなす。これって、前節の丁鈎児と鉱山幹部の二人の関係に似てますね。
それはそれとして、今回もまた李くんは小説を送りつけてきました。タイトルは、「肉童」。莫言先生は「鳥肌が立ちました」とコメントしています。


ということで、第4節、李くんの小説「肉童」です。つまり、小説内小説。
この『酒国』は、どうやら、丁鈎児が酒国で事件を調査するパート、李くんと莫言先生との書簡、そして李くんの手による小説という構成になっているようです。そして、この李くんの小説は、どうも丁鈎児のパートとリンクしているっぽいです。
「肉童」は、貧しい農村の夫婦が幼い息子を風呂に入れるシーンから始まります。でも、暖かな家族団欒シーンではありません。ピリピリした雰囲気が漂っている。タイトルから想像できるように、実はこれ、子供を売りに行く話なんですよ。少しでも高く売れるようにと、子供の見栄えをよくしてるわけです。向かう先は、調理学院特別調達所。ん? これって、第1章で、丁鈎児がふと耳にした会話に出てきた場所じゃないですか!

係官が低い声で質問した。
「この男の子はもっぱら特別調達所のために産んだものに相違ないですな」
金元宝は喉がヒリヒリして言葉が詰まってしまった。係官は質問を続けた。
「そうであるなら、この男の子は人間ではないですな」
「へい、これは人間ではござんせん」金元宝は答えた。
「そうであるなら、あなたが売ろうとしているのは特殊な商品であって、男の子を売るのではないですな」
「へい」
「あなたは品物を我々に渡し、我々はあなたに金を払う。あなたは売りたく、我々も買いたい、そういう公平な取引であって、金と品物を交換したのちは永久にもめ事は起こさない、そうですな」
「へい」

これはまさしく人身売買です。それにしても、「公平な取引」って言うけど、どうなんでしょう? 貧しさから子供を売る家庭があり、それをおそらくは食用として買う人がいる。スウィフトの『奴婢訓』を思い出しますが、スウィフトの問題意識は政府の経済政策による貧困にありました。そして、この「肉童」でもやはり貧困が問題になっているように思えます。てことは、これは中国共産党政府への批判でしょうか? ともあれ、李くんの農村の描写はなかなかリアリティがあっていいです。


ということで、今日はここ(P63)まで。次はいよいよ嬰児丸焼きを前にした丁鈎児の話の続きです。