『酒国』莫言 【1】

酒国―特捜検事丁鈎児の冒険
今回は、
『酒国』莫言
です。
「特捜検事丁鈎児の冒険」とサブタイトルがついています。「丁鈎児」は、中国語で「トランプのジャック」を指す名前だとか。
ちなみに莫言は、「モーイエン」と発音します。日本読みだと「ばくげん」。「中国のガルシア=マルケス」と呼ばれる作家だそうで、マルケス好きな僕は、前々から気になってたんですよ。ただ、中国文学ってのは敷居が高そうな気がして、なかなか読むきっかけがありませんでした。なので、この小説が莫言初体験になります。


では、「第一章」からいきましょう。この章は、4つのパートに分かれています。
まず、最初のパート。第1節って言えばいいのかな。主人公である、48歳の高等検察院特捜検事・丁鈎児(ティン・コウアル、またの名をジャック)が、炭鉱の町「酒国市」にやって来るところから始まります。
彼は何をしにこの町へやって来たのでしょう? 酒国市では、その名の通り、誰もが酒をかっくらっています。そんな炭鉱の描写を楽しみながら数ページ読み進んだところで、こんな会話が出てきます。

「この犬が悪ふざけをするからに」
「調理学校の特別料理部に売っぱらっちまえ」
「老ぼれ犬は煮ても食えねえ」
「特別料理部が買い付けるのは白く太った男の子で、こんな犬じゃねえ」

ん、特別料理部? これは暗に「子供を食う」ことを示しています。「足のあるものはテーブル以外何でも食べる」という中国流のブラックジョークかと思いきや、実は、ジャックこと丁鈎児は「嬰児を丸焼きにして食べている」という事件の調査に、酒国を訪れているんです。そりゃあ、とんでもない話です。さっさと止めさせないと。
でも、この人、何だか頼りない。トラックの女運転手にムラムラきちゃってキスしたり、腹立ててオモチャのピストルをぶっ放してみたり、頭痛や耳鳴りや吐き気やめまいや痔に悩まされたり、颯爽とした捜査官というイメージからはほど遠い。

別の彩り鮮やかな大木には、数百もの赤ちゃんの形をした実がなっている。ピンク色で、目鼻がはっきりとして、なめらかな肌である。それは男の子の姿で、愛らしいオチンチンは真っ赤なピーナッツのよう。丁鈎児は首を左右に振って、気持ちを落ちつけようとした。驚くべき怪奇なる大事件の影がほのかに見えてきたのだ。

西遊記』に、確かこんな木の実が出てきたと思いますが、中国ではポピュラーなイメージなのかな? まあ、赤ちゃんが木になるわけがないので、これは、酔った彼の幻覚でしょう。にもかかわらず、「大事件の影」とか言っちゃって、大丈夫なのかな、この人?
 あと、幼い男の子の「オチンチン」への妙なこだわりも気になります。この章では、都合3回、「オチンチン」が登場します。いったい、何だって言うんだ?
ともあれ、丁鈎児は、炭鉱共産党委員会書記と鉱山所長に会い、この炭鉱の出身であり現酒国市宣伝部副部長の金剛鑽(チン・カンツアン)が、この「嬰児丸焼き事件」の重要容疑者だと切り出します。
と、ここまでが、最初のパート。で、第2節に入るんですが…。

 尊敬する莫言先生
 拝啓
私は酒国市醸造大学混成酒専攻の博士課程大学院生で、性を李、名を一斗と申します――これは筆名でして、本名を申上げない点をご容赦ください――。

第2節は、いきなり、作者・莫言に宛てた手紙です。しかも、書いているのは酒国の大学院生。莫言に弟子入りさせてくれと、手紙と作品を送りつけてきたようです。莫言がかつて「酒こそ文学」「酒のわからぬ者に文学は語れず」と書いていたことに感銘を受け、酒のことを人一倍わかっている自分こそ文学にふさわしいと思い込んじゃったようです。何だか、やっかいそうな人ですね。
それにしても、「醸造大学混成酒専攻」ってのは、ちょっと可笑しい。この小説はどこまで酒づくしなんでしょう。
第3節は、この手紙に対する莫言の返信です。こういうときたいていの文学者が応えそうなことを、莫言もまた書いています。つまり、要約しちゃえば、「文学なんかおやめなさい」。
そして、第4節では、李一斗が書いたと思しき小説「酒精」がまるごと挿入されます。
つまりこの章の構造は、1:丁鈎児の犯罪捜査、2:李一斗から莫言への手紙、3:莫言から李一斗への返信、4:李一斗が書いた小説、となっているわけです。いかにも現代文学らしいメタ構造ですね。いいなあ、仕掛けだらけの小説。


では、第4節、李一斗の手による「酒精」を読んでみましょう。
これは、醸造大学の客員教授として招かれた金剛鑽の講義録という形で書かれています。金剛鑽は、大酒飲みであり酒のことを知り尽くしている酒国市の名士。学生たちの尊敬と憧れの的です。ちなみに、この金剛鑽、第1節で、丁鈎児に「嬰児食い」の容疑者と言われていた人物です。ややこしいですね。
ところが、この小説の語り口はもっとややこしい。ただの講義録だと思っていたら、どうしてなかなか一筋縄じゃいきません。講義のところどころに、語り手がこの小説を書いている様子が挿入され、両者が溶け合っているような語りになっている。うーん、説明しづらいなあ。では、ちょっと引用してみましょう。

学生諸君、私は苦しい少年時代を過ごしました。偉大な人物とは荒れ狂う大海を必死に泳いだ経験があるもので、彼とて例外ではない。私がいかに酒を欲しようとも、酒は飲めませんでした。金副部長は厳しい条件下で工業用アルコールを焼酎代わりに飲み、内臓を鍛えた経験を語ってくれたので私は純粋なる文学言語によりこの非凡な経歴を描いてみたいと思った。私は一口酒を飲むと、グラスをカチャンとお盆に置いた。闇が降りてきて、金剛鑽が副部長と歓楽の精子との間の位置に立った。彼は私に手招きをしている。ボロの綿入れを着た彼は、私を彼の故郷へといざなうのだった。

一読しただけじゃよくわからないパラグラフです。何故わかりづらいかと言えば、語りのレベルが文章ごとに変化するからですね。冒頭の「学生諸君〜」の文は、金剛鑽副部長による講義のセリフです。「偉大な人物とは〜」は、その講義に対する作者(李一斗)の論評。次の「私がいかに酒を〜」の文は、またしても金副部長の講義のセリフ。そして、「金副部長は〜」の文は、それを受けて作者がこれから書き始める内容についての宣言。そして、「私は一口〜」は、今この小説を酒を飲みながら書いているという作者の動作を示しています。さらにわかりづらいのが、次の「闇が降りてきて〜」の文。「副部長」とは、講義をしている金剛鑽を指していて、「歓楽の精子」とはアルコールのことを指していると思われます。その間に立つ「金剛鑽」は、おそらく副部長という肩書きを得る前の少年時代の金剛鑽でしょう。その金少年が、作者(李一斗)を故郷へ招くのです。そして、このあと、金剛鑽の少年時代のエピソードが綴られます。
あややこしい。でもどうして、視点が一文ごとに変わるなんてことになっちゃうんでしょう? これ、酒を飲みながら書いてるせいじゃないかな? 一種の酩酊状態。自分と他人、現実と想像の境界が溶け出しちゃってる。だから、どこからが金剛鑽の講義で、どこからが李青年の創作したフィクションなのかわからない。貧しい農村での金少年の話だって、ひょっとしたら作り話かもしれないし、もっと言っちゃえば、金剛鑽講義だっていかにもそれらしく想像したフィクションかもしれない。酔っ払いのでまかせ話。
何だか、こんがらがってきました。


ということで、今日はここ(P32)まで。まだ一章なのに、すでにもうあれこれ気になることがてんこ盛り。これは、読みごたえがありそうですよ。