『童話・そよそよ族伝説 (3)浮島の都』別役実 【1】

そよそよ族伝説―童話 (3)
はい、第3巻
『童話・そよそよ族伝説 (3)浮島の都』別役実
です。


今回は、施療院島から始まります。どうやら、「うつぼ舟」から始まる諸々のできごとの背後には、夜見の国のスサノオと大氏王朝のアシハラノシコオとの「約束」があるということが、施療院島のひきのうんばあから明かされます。しかし、この「約束」が何であるかはわかりません。うんばあは、それを探るためおおうみへアキノとマタジを送り出します。
あまんじゃくの下へ身を寄せているアミとサトは、ツモリ老人に命じられ、五郎森に捨てられた大氏の黒い舟を探しています。この舟もまたスサノオとアシハラノシコオの「約束」に関係があるようです。
さらに、葛城の将軍オトウカシもまた、おおうみの様子を探るために智恵の洞窟を訪れます。彼は、大氏王朝はスサノオの怒りに触れ滅ぼされ、葛城王朝は高天ケ原の怒りに触れ滅ぼされたのだと言います。オトウカシによれば、「このおおうみこそ、これらすべてのことを司っているスサノオの力が、わだかまっている場所なのだ」とのこと。
この巻に入った途端、いきなり、夜見の国の「スサノオ」の存在がががーっと迫り出してきました。スサノオってのは、「夜を支配する神」みたいな者なのでしょうか。
一方、天ノ原王朝のミマキイリヒコもまた、ふせの泊に拠点を移し、そこに建てられた望楼からおおうみを眺めています。おおうみの底にわだかまるスサノオの存在に、彼もまたおののいています。

「高天ケ原のアマテラスヒメもそうなさっておいででした……」
と、タケヌナカワは、出来上がった望楼の下に立って、ミマキイリヒコに言いました。
「いつも、高い峯の上にお立ちになって、国中を見下ろしておいでだったのです。そして臣下のものには決して、そこに立つことをお許しになりませんでした。人々を統べる王と、王に統べられる人々とは、そこで世界の見方を分けられるのです。人々は自分の背丈だけの世界を見、王はそれらすべてを寄せ集めた広大な世界をごらんになるのです。
王から言葉が生まれ、王から地図が生まれるのもそのためです。言葉は世界のそれぞれのものを意味づけ、地図は世界のそれぞれの場所を位置づけるためのものであり、それは高見から世界を見、世界を知ることの出来る王にしか出来ないことだからです」

権力論、ですね。視線のポリティクス。王が、言葉と地図を生むというのは、興味深いところです。これは、どちらもものごとをはっきり理解するためのものです。王というのは、すべてをわかっていないければならない。「わからない」をくり返す、知恵者ツモリ老人とは対称的です。
ちなみに、読者である僕らは、ツモリ老人同様、「わからない」の中をさまよっています。「施療院島」「ふせの泊」「五郎森」「きずきの行者」「からす使い」「貝がら閉じ」「囲い舟」「山つなみ」「死者の口うつし」などなど聞き慣れない地名や言葉が、ときに説明なしに登場します。これらがわからないのは、全体を見通す視点を持っていないからですね。読み進めながら、その都度その都度、自分の背丈の分だけを理解し、それを徐々に結びつけていくしかない。そう言えば、前2巻には付いていた地図が、この3巻には付いていません。
さて、うつぼ舟は、夜見のかげ使いの思い通りに動かず、今やあまんじゃくの下にあります。ミマキイリヒコは、そのことに気づき、そこに高天ケ原の力が働いていることに思い至ります。

「このおおうみは、夜見のスサノオの力にのみよって動かされているのではない……」

さあ、これで、少し見えてきました。どうやら、この物語の世界は、大氏、葛城、天ノ原といった、これまでの王朝の勢力の上位に、夜見の国と高天ケ原という二つの勢力があるようです。そして、施療院島のひきのうんばあ、葛城のオトウカシ、天ノ原のミマキイリヒコ、そしてツモリ老人、誰もが、スサノオの「約束」について知りたがっています。さてどうなるのか?


ということで、今日はここ(P78)まで。いよいよ3巻に渡った物語のクライマックスが近づいてきました。