『童話・そよそよ族伝説 (2)あまんじゃく』別役実 【2】


「三 風の森」の章では、「葛城のからす使い」ハセオが登場し、視点がまたしても変わります。しかしそれよりも意外な人物が、「四 いかだ舟」の章で登場します。その人物とは、前巻『うつぼ舟』に出てきたアヤト老人です。
アヤト老人は、「ふせの泊」に暮らす奇怪な老人。ちなみに、前巻『うつぼ舟』ではこんな風に描写されていました。

驚いたことに、アヤト老人はなにも着ていないのです。髪も眉毛もないのっぺりとした頭が、そのまま白いぶよぶよの袋のような身体につながって、大きな盃の形をした竹籠からあふれ、白い水くらげのように漂っているのでした。

はっきり言って、気色悪いです。白い不定形のぶよぶよ。人というより、肉の塊。そのくせ声と細い腕は、まるで小さな女の子のようで、ぴちゃぴちゃ唇を鳴らして喋る。確か、とり・みきのマンガにこんなキャラいましたね。ついでに言えば、この肉塊、何だか思わせぶりで、うさん臭い人物のようでもあります。
さて、アヤト老人はおおぬまの人々に、ツモリ老人たちがどうやって消えたかを説明します。

「夜見のかげ使いは、人々が考えて行動するものであることを知り、その考えの先まわりをすることで我々を縛っているのだから、もし人が何かのやり方で考えずに動くことができたら、その人間は夜見のかげ使いの手から逃れ出ることになる。ツモリ老人とその一行は、そうやってこのおおうみから消えたんだ。夕暮れの国の、もうひとつのおおうみへね……」

「夕暮れの国」、夜でもなく昼でもない、間の国。どっちつかずの曖昧な国です。しかし、「人は一瞬、考えずに動くことはできるが、いつまでもそうしていることはできない」と、アヤト老人は言います。夕暮れはいずれ夜になる。夜になるってことは、夜見のかげつかいの世界、つまり「考えずにはいられない」世界になるということです。やはり、人はものごとをはっきりさせずにはいられないんでしょうか? うーん。
それからもう一つ、アヤト老人が語る、大氏一族に関する言い伝えも興味深いです。
大氏一族は、言葉を持たない替わりに様々な自然物を「読み」、それに従って「浮島の都」で暮らしていた。そんなあるとき、妻を亡くした男が彼女の記録を永遠に残すために、古代文字を発明したのです。

「自分の妻について、娘について、息子について、そして先祖について、人々は古代文字で記録を作りはじめた。そればかりではない。人々はあらゆることについて、古代文字に置きかえることをしはじめた。風から何を読んだか、水から何を読んだか、空から何を読んだか、星から何を読んだか……。そして、草木から、動物たちから、あまんじゃくから、何を聞いたか……。そして、わかるだろう。人々は古代文字を読めるようになったかわりに、風も、水も、空も、星も、読めなくなってしまった。草木からも、動物たちからも、あまんじゃくからも、何も聞きとることができなくなってしまった。浮島の都は、言ってみれば、言葉の病気に罹ってしまったんだ。人々は言葉でしか考えられなくなってしまったし、言葉しか読みとることができなくなってしまった。言葉でしか考えない人間は、言葉しか理解できない。そして或る日、或る男が都の広場で突然、『浮島の都は何故浮いているんだ』と問いかけ、人々はそれに自分たちが誰も答えられないことに気付いてしまったんだ……」

そして、浮島の都はおおうみに沈んでしまったとのことです。なるほど。言葉で考えるということは、島が浮く理由が必要になるということなんですね。そして、それが見つからない以上、島は沈むしかない。面白いです。
この物語では、「言葉のある世界」と「言葉のない世界」が拮抗しているようです。「言葉のある世界」は、例えば天ノ原王朝であり、葛城一族であり、夜見のかげ使いです。「言葉のない世界」は、大氏一族であり、たぶんあまんじゃくもそうでしょう。そして、ツモリ老人たちもまた、「言葉のある世界」から逃れようとしているように思えます。
さて、「五 智恵の洞窟」の章の中盤で、舞台から姿を消していたツモリ老人一行が、姿を現します。そして老人が言うには、これから「八重沼」にいる「あまんしゃぐめ」に会いに行くつもりだと。
やっぱり、「沼の物語」。またしても、行く先は「沼」です。


ということで、今日はここ(P93)まで。さあ、いよいよ次の旅が始まります。