『童話・そよそよ族伝説 (2)あまんじゃく』別役実 【1】

童話・そよそよ族伝説〈2〉あまんじゃく
シリーズ第2巻。
『童話・そよそよ族伝説 (2)あまんじゃく』別役実
です。


「一 みずがきのみや」の章から。

ミマキイリヒコは、シキのみずがきのみやの奥深いところにひっそりと身を横たえて、ゆるやかに五感をひらき、彼等のはるかな祖先が出発してきたと言われる高天ケ原(たかまがはら)へ、遠く「問いかけ」を行っていました。
「私は、間違っていたのでしょうか……?」
そこからのあらゆる解答に順応できるように、体の節々に巣喰ったしこりは、静かにときほぐされ、胸からしだいに内部へ、湖のような透明な場が開かれていったのですが、やはり高天ケ原はなにも答えてはくれませんでした。

第2巻の冒頭ですが、いきなり新しいキャラが登場。「みずがきのみや」とは、天ノ原王朝の都がある場所で、ミマキイリヒコはその指導者です。この章では王朝の行く末に対する彼の想いや、うつぼ舟が流された経緯などが語られます。
第1巻との違いは、そこ。物語は、これまでずーっとツモリ老人とアミを追っかけてきました。彼らに寄り添うように語られてきた。ところが2巻に入ると、いきなり視点が天ノ原王朝に移ります。一方から語られる伝説は、他方から見るとまた違った様相を呈してくるということでしょうか?
では、ちょっとおさらいしておきましょう。過去に大氏王朝があって、葛城王朝がそれを滅ぼした。そして、そのあと天ノ原王朝が葛城を滅ぼし、政権を取った。しかしある日、ミマキイリヒコの叔母モモソヒメが王氏の男の子を宿してしまい、その子供もろともうつぼ舟に乗せて夜見の国へ流すことになった。ところが、うつぼ舟は夜見の国へたどり着かず、アミに発見されてしまった。その結果、大氏王朝の人々を甦らせることになり…。と、物語の背景は、ざっとこんなところです。
さて、ここで初めて明らかにされますが、大氏の一族は「決してしゃべらないものたち」だったそうです。大氏の王朝は、「言葉のない世界」だったとか。なるほど、それで「めくらことば」なのかと腑に落ちますが、ミマキイリヒコは、そうした大氏の一族に対してそこはかとない不安を感じています。

「言葉のない世界……?」
彼は何度もそのことを考えてみました。それが形造っている世界がどのようなものか、彼にはどうしても理解できなかったからです。そしてまた、だからこそ彼等の勢力が、彼とその一族にとって、ひどく危険なものに思えたからです。彼はむしろ、葛城の一族よりも大氏の一族を危険だと考えました。葛城の勢力の、彼の一族に向かって放たれた憎悪は、それが根深ければ根深いほど、激しければ激しいほど、彼とその一族をふるいたたせますが、大氏の勢力の、暗さと静けさは、彼をどこか得体のしれないところへ、とめどもなく引きずりこむような気がしたのです。彼の、大氏の一族に対する不安は、それをどう取り扱っていいかわからないところからきていました。そのことを考える度に彼は、手がかりのない底なし沼にはまりこんでゆくような、いわれのない恐怖にとりつかれるのでした。

また、天ノ原王朝の神官イカガシコオも、大氏一族についてこう語ります。

「彼等はそこに居るだけです。追えば逃げます。打ち破れば悲しむだけです。しかしそのようにして、水が真綿にしみこむように、次第次第に我々の内に入り込んでくるのです」

「底なし沼にはまりこんでゆく」や「水が真綿にしみこむ」といった比喩が出てくるところに注目です。第1巻でも見たように、この物語は、「沼の物語」です。確固たる足場を持たず、力をこめて踏ん張ろうとするとずぶずぶと沈み込んでしまう。キーは、「言葉のない世界」。「……」がどこまでも連なる世界。


「二 闇の中で」の章。
ここで、再びツモリ老人とアミが登場します。第1巻のラストで、彼らはモモソヒメとともに、天ノ原の舟団の包囲をかいくぐって、夜のおおうみに漕ぎ出していきました。
ツモリ老人、アミ、片目のクニ、モモソヒメとその赤ん坊の5人を乗せ、おおうみに漂う皮舟。夜明けまでに、天ノ原にも葛城にも見つからない場所へ行かなければなりません。しかし、ツモリ老人は、またしても、どこへ行けばいいのかわからないと、言い出します。仮に天ノ原や葛城の目を逃れたとしても、夜見のかげつかいにはお見通しに違いない。八方ふさがりで、途方に暮れる一行。と、そのとき、初めて、モモソヒメが口を開きます。

「私たちは今、ほんのひとときかもしれませんが、安全です……」
その言葉は、闇の中でややはにかみながら、しかし確かな手応えをもって三人の耳に聞こえてきました。
「そしてもしそうなら、これから先もほんのひととき安全であるかもしれません。いつまでも安全である場所を見つけることはできなくとも、私たちは、森で小さな木の実を探すように、その時その時に安全である場所なら、探し出せるのではありませんか」
(中略)
「あなたのひとことで、目が覚めましたよ。我々は、先の見通しについて考え過ぎてはいけないんだ。それを考えれば考えるほど、夜見のかげつかいに先を越される。その場その場のことしか考えてはいけない。それだけが我々の強みなんだ」

さらに老人は、こうも言います。

「迷って迷って迷い抜くことでしか、我々は夜見のかげの使い手から、逃れ出ることは出来ない。そうだよ。それだけが、我々のやれることだ。我々は、瞬時の休む間もなく、迷い続ける。迷うのをやめた時、殺される……」

面白い。問題解決ではなくて、延々と先送り。その場しのぎのくり返しこそ、敵から逃れる方法だと。逆説的ですが、これまでの流れをふまえると腑に落ちます。「わからない」ということが、彼らの「強み」なんですよ。結論を出すから、相手にそれを読まれてしまう。常にふらふらと迷っていれば、どこに行くのかは読まれないわけです。「霧の中で名乗りをあげるのはあぶない」という話のバリエーションですね。
老人は、アミに目をつぶって舟を漕ぐよう命じます。これも、「わからない」という状態を保つ手法の一つでしょう。ちなみにこれ、「めくらこぎ」と言うそうです。「めくら」…、これもキーワードですね。
僕は、こうした発想をすごく魅力的なものに思います。何もかもを二元論で切り捨て、はっきりさせたがるような昨今の世の中に対して、僕は居心地の悪さを感じているんですよ。だから、この物語に描かれる「はっきりさせない」というやり方に、ある種の可能性みたいなものを感じます。


ということで、今日はここ(P41)まで。なかなか更新する時間が取れませんが、まあゆっくり行きますわ。