『奴婢訓』スウィフト 【3】


「細則篇」の「第三章 従僕」。

自分は嘗て自ら従僕の一人たるの光栄を持ったものであるから、このつとめには真実深い尊敬の念を抱いている。その光栄をおろかしくも棄て去り、税関などに下らぬ職を求めるの愚を自分は演じてしまった。とまれ、従僕諸君が幸福を掴む足(た)しにもと、ここにいささか訓戒の言葉を述べる次第。これは自分の七年間の実際経験ばかりでなく、思索と観察の成果なのである。

お、いきなり語り手の過去が冒頭で明かされます。「元従僕」だったとは…。つまり、この作品は、作者スウィフトによるエッセイではなく、語り手を仮構した文明批評のようなものなのでしょう。これを「小説」って言っていいのかわかりませんが、じゃあ何だと言われても困るような作品です。
ところで「従僕」ですが、常に主人の側に仕えているため他人の目に触れる機会も多く、センスがよくなくちゃ勤まらない役職のようです。役得はそれほど多くはないものの、屋敷の外でも一目置かれる存在。近所では「さん」付けで呼ばれ、うまくすれば主人のお嬢さんに見初められることもある。というのは、この語り手が言ってることですが、これ、そこらの下働きとは違うんだぞ、という妙なプライドが透けて見えます。

外の家庭の秘密を知るために、自分の主人の秘密をしゃべること。かくして、内と外と両方からちやほやされ、重要人物と見なされるようになる。

新流行の言葉、呪詛、歌謡、台詞(せりふ)の断片などを覚えられるだけ覚えること。十人中九人の御婦人に喜ばれ、百人の中の九十九人の伊達男の羨望のまととなる。

つまり、「重要人物と見なされ」たいし、「羨望のまとと」なりたいわけです、従僕は。これ、若者が必死でデートスポットを暗記したりするのに、ちょっと似ています。俺ってすごいんだぜっていう、いわゆる、カッコつけ。上昇志向と自意識過剰が垣間見えますね。
では、こんなのはどうでしょう?

食事のお給仕をする時には決して靴下をはかない。自分の健康のためにも、食卓に向かっている方々のためにも。御婦人方は大かた若い男の足指の臭いがお好きなもので、それがヒステリイの何よりの妙薬なのだから。

石田純一か? やっぱり従僕は、「若い男」のようです。もちろん、こんなこと書かれたら御婦人方も怒るでしょうが、それに気づかないところも若さゆえでしょうか。
それにしても、小便で洗ったカップに足の指の臭い…。僕はスウィフトの食卓には付きたくないですね。
さて、「若い男」もいずれは年をとります。いつまでも、モテのことばかり考えているわけにはいかない。

従僕のままで老いぼれるのは、大きな恥辱。だから、寄る年波を感じながら、宮仕えの口や士官任官の望みもなく、家令の後釜に座ったり税務署に雇われる富もなく(この二つは読み書きが出来なければ駄目)、主人の姪や娘と駆落もまず出来そうもないとなったら、ざっくばらんにすすめるが、追剥仲間に入るがよい。これが残された唯一の名誉ある地位というもの。

ここでもまだ「名誉ある地位」にこだわっています。それにしても、みじめな使用人でいるくらいなら「追剥」になれってのは、すごいですね。どこまでも、カッコつけ。ということで、この章では、最後は絞首刑になったときの見栄の切りかたを教えています。すでに従僕の話じゃないでしょ、それは。
そう言えば、冒頭に「税関などに下らぬ職を求めるの愚を自分は演じてしまった」とありましたが、ここまで読んでくると、それって結局、「勝ち組自慢」だったんじゃないか、という気がしてきます。歪んだプライド、ちょっと鼻につきます。


「第四章 馭者」。
2ページに満たない程度の章です。

馭者は馭者台に上(のぼ)り御主人を運ぶ以外に、何の義務もない。

だそうです。


「第五章 別当」。
別当と言われてもピンときませんが、馬丁のことのようです。要するに、馬の管理をする役職。ここでは主に、旅先での役得があれこれ綴られます。

旦那様は宿屋の僕(しもべ)共の、馬は厩舎の者の、世話に任せる。これで、馬も旦那様も一番適当な者の手に渡ったわけだが、こっちは自分の身の世話を焼かねばならぬ。そこで、晩食を持って来させ、たらふく飲んで、旦那様のお世話はちゃんとしてくれ手があるんだから、御挨拶なんか抜きにして、寝てしまう。

旦那様と馬が同列で扱われてます。「御挨拶なんか抜きにして」ってのが可笑しいですね。「御」をつけておきながら、「なんか」って…。
ちなみに、別当は何かにつけて飲みたがるタイプのようで、いかに一杯引っかけるかが語られます。次の例は、「おいおい」って言いたくなるような、バカバカしさがあります。

長旅では、旦那様のお許を得て馬にエールを飲ましてやる。たっぷり二クォート分を厩に運び、半パイントを鉢に注ぎ、馬がどうしても飲もうといわぬなら、厩番と二人で最善を尽さねばならぬ。次の宿屋では馬も機嫌を直して飲む気になっているかも知れぬ、というわけで、この実験はどの宿屋でもかかさずやってもらいたい。

「エール」ってのは、ビールの一種だそうです。「実験」と書かれているように、当然、馬が酒を飲むわけはありません。で、余ったエールをどうするか。「最善を尽す」って、ものは言いようです。


ということで、今日はここ(P64)まで。これでもかこれでもかと列挙される、小賢しい知恵。スウィフト、かなり意地が悪いです。