『三つの小さな王国』スティーヴン・ミルハウザー 【9】


この本はすっごく面白かったです。もっと早くに読んでおけばよかった。中でも「J・フランクリン・ペインの小さな王国」は素晴らしかったです。いや、他の話も十分よかったんですが。
これら3つの作品は、アニメーション、お伽話、絵画と、どれも作りものの「小さな王国」を題材にしています。現実の世界とは別に作られた、虚構の世界。ミニチュアのオブジェを丁寧に並べた箱庭。
と、同時に、これらの作品は、アニメーションとは何ぞやというように、これら「小さな王国」について考える物語でもあります。つまり「作りもの」について考察する小説になっている。
さらに言っちゃうと、小説自体も「小さな王国」、つまり作りものの小宇宙になっている。工芸師のような丹念さで、精巧に言葉のオブジェが並べられています。これが、例の「列挙癖」につながっているんでしょう。
作りものである小説に閉じ込められた、アニメーションやお伽話や絵画。入れ子の小宇宙。二重に囲われた作りものの世界は、まるで、「王妃、小人、土牢」の二重壁に取り巻かれた町のようです。
この「作りもの」ってのは、ミルハウザー作品の最大の特徴です。現実世界よりも、虚構の世界、想像の世界のほうに親しみを感じているのは間違いない。
ただし、単なるファンタジー賛歌とか、夢見る力を讚えるってな話とちょっと違う気がします。「J・フランクリン・ペインの小さな王国」で、フランクリンはアニメーションを「不可能性の詩」と呼びました。でも、そのあとにこう続けます。「そこにこそその高揚と、ひそかな憂鬱とがある」。それは、「あらかじめ挫折を運命づけられている」と。この言葉を、「展覧会のカタログ」に並べて置くと、そのラストの結末は納得できるでしょう。どうしたって、ハッピーエンドにはならない。
作りものは、いつまでたっても現実にはなれません。だからこそ魅力的であり、だからこそ哀しい。作りものの恍惚と不安が、ミルハウザーの作品には充ちています。


『三つの小さな王国』については、これでおしまいです。
次回は、先日岩波文庫で復刊された、ジョナサン・スウィフトの『奴婢訓』を読もうかなと思ってます。