『三つの小さな王国』スティーヴン・ミルハウザー 【5】

では、二つ目の中編、「王妃、小人、土牢」にいきます。
原題は、「The Princess, the Dwarf, and the Dungeon」。ロールプレイングゲームなんかでおなじみの、ファンタジーの世界を想像させます。
この小説は、短い断章から成っています。最初の10章分の題を挙げてみると、「土牢」「城」「王妃の物語」「二つの階段」「窓の凹み」「川べり」「日なたと日蔭の思い」「塔」「川の伝説」「不幸なる者」といった感じ。これらのピースをつなぎ合わせていくうちに徐々に全体像が見えてくる、という構成のようです。
それにしても、この小説や章タイトル、記号的っていうのかな。具体的な固有名詞が出てこない。ファンタジーの骨格のみを抽出したような素っ気なさです。ガイドブックのインデックスや、ゲームのコマなんかを連想します。
ということで、まず、最初の「土牢」の章から。

土牢は城の地下もっとも深い部屋よりさらにずっと下にあると言われており、ここにひとつの問いが生じざるをえない。すなわち、土牢は城の一部なのか?

冒頭、いきなりの問いかけ。土牢は、城という権力の秩序外にある闇のようなものではないかという疑問が提示されます。何て魅力的な書き出し!
次の章は、「城」です。

城は川の向こう岸の険しい崖の上、川面から百メートルの高さに建っている。(中略)私たちの住んでいる側からは、王妃の塔と、外側の壁の胸壁が見える。

ここでは、城がどんなところに建っているのかが語られています。でも、それと同時に僕が気になるのは、この語り手。「私たち」という複数形の主語で語られているのが、妙に引っかかるんです。集団で一つの意思を持っているような、奇妙な感触があります。
次の章は、「王妃の物語」。

昔々美しい王女がいて、その肌は雪花石膏(アバラスター)より白く、紙は金箔よりも明るく、その徳は国じゅうあまねく知れわたっていた。ある日王女は一人の、彼女の美女ぶりに劣らぬ美男の王と結婚した。二人は心から愛しあっていた。にもかかわらず、一年と経たぬうちに、幸福は絶望に変わりはてた。

これは、思いっきりお伽話のフォーマットに乗っ取ってます。いかにも紋切り型。「昔々」で始まるあたりも、これがお伽話や伝説であることを示しています。
ここで、僕はちょっと混乱してしまいます。これまでのところで見る限り、「土牢」→「城」→「王妃」について語ってきたこれらの章は、それぞれ前の章を引き継いで語られているように思えます。でも、本当にそうなのかな? なんとなく、ズレがある気がしてならない。そのひとつが、文章の時制です。「土牢」や「城」については、現在形で書かれいるけれども、「王妃の物語」は過去形、つまり昔々のお話として書かれている。同じものについて書かれているように見えるけど、時代がズレている。これはいったいどういうことでしょう? まだたったの2ページしか進んでいませんが、すでに「語り」に関する謎がチラついています。
このあとは、はしょっていきますが、読み進めていくうちに、どうやら、この小説の短い章は、大きく3つに分けられることがわかってきます。
 1 土牢についての記述。土牢は城の地下にあるらしく、何かと謎めいている。
 2 「私たち」が語る町についての記述。町は壁で囲まれ、川がある。川向こうの崖に城が見える。
 3 王妃の物語。王は、王妃と旅人である辺境伯との不貞を疑い、彼女の貞淑を確かめようとする。王妃はまったく身に覚えのない疑いに苦しむ。
といったあたりが、大まかなアウトライン。これらが交互に語られ、その3種類の章が微妙に絡み合っていきます。でも、その絡み合い方は、どうも一筋縄ではいかない感じです。
例えば、2に属すると思われる「塔」という章は、こんな文章で始まります。

明け方から黄昏どきまで、彼女は塔にこもっている。時おり、私たちのいるところから、彼女の顔とおぼしきものが塔の窓に一瞬見えるが、実はそれも、はるか高い窓硝子につかのま陽光が閃いたか、通りがかりの鳥の影が映っただけかもしれない。

うっかりすると、ここに出てくる「彼女」=王妃の物語の「王妃」、と思い込んでしまいますが、どこにもそんなことは書いてない。「彼女」としか表記されていません。ミルハウザーのたくらみが匂います。それが何なのかは、まだわかりませんが。
それにしても、やっぱり気になるのは、「私たち」です。誰よ、あんた? 少しあとに出てくる「豪族」という章には、「貴族でも豪族でもない私たち、町に帰属しつつ観察は怠らぬ私たち」というフレーズが登場します。何考えているのかさっぱりわからないけど、ただひたすら観察するだけの集団…。ちょっと不気味です。
ところで、土牢についての記述には、「私たち」も「王妃」も登場しません。ということは、「土牢」のパートは他の章から独立しているということです。でも、その位置づけがよくわからない。
ということで、「土牢の番人」という章。恐るべきこの番人にはひとつだけ弱みがあったと語られたあと、こう結ばれます。

この弱みを巧みに操ることによって、その他あらゆる点で容赦ない、何ものにも動かされぬ番人の心に、小人は自分の意志をじわじわ浸透させることができるのである。

え、「小人」? いきなりの登場です。これ以上小人については触れられないんですが、気になるなあ。すごく気になる。


ということで、今日はここ(P150)まで。まだ全体像は見えませんが、謎解きしたくなるような小説です。