アニメーションについて

僕は、アニメーションに興味があるんですが、「J・フランクリン・ペインの小さな王国」はその意味でもいろいろ興味深い点がありました。
まあ、わりと得意なジャンルということで、参考としてちょっとしたメモを付け加えておきます。


ウィンザー・マッケイ
「J・フランクリン・ペインの小さな王国」の主人公フランクリンは、解説で訳者の柴田元幸氏が指摘しているように、ウィンザー・マッケイという漫画家を思わせます。マッケイは、新聞漫画「夢の国のリトル・ニモ」で好評を博し、その後アニメーション制作へのめり込んでいった、アニメーション黎明期の大天才。彼の漫画の特徴は、すべて夢の話であること。そして、流麗な描線による詳細な描き込みと、アクションの瞬間を切り取ったような確かな描写力です。これが、作品における夢のリアリティみたいなものを支えているんだと思います。
彼のアニメーションの代表作「恐竜ガーティ」は、1909年の作。セルが開発されるのが1914年なので、このアニメーションは、紙に手描きで作られています。そのせいで背景の線がビリビリと震えているように見えますが、そのことが瑕にならないどころか、世界全体に生命が宿っているような野蛮な魅力を感じさせます。フランクリンのアニメーションについて、「背景が震える」と何度も書かれていますが、この作品を見るとそれがどんなものかがイメージできるんじゃないかな。


マックス・フライシャー
そしてもう一人、この小説に出てくるマックスは、その名前から「ベティ・ブープ」や「ポパイ」を生み出したマックス・フライシャーを思い起こさせます。彼もまた新聞漫画家出身で、やがて弟のデイヴ・フライシャーとともにフライシャー・スタジオを起こし、1940年頃までディズニーに唯一対抗したアニメーション作家として活躍します。小説に登場するマックスも、やがて独立してスタジオを持つことになります。そのあたりも、フライシャーを想像させる所以です。
彼らのアニメーションの特徴は、猥雑でナンセンス、溢れるお色気と怪奇趣味といったところでしょうか。ディズニーに比べ、大人向けで都会的。ジャズのリズムに合わせ、登場人物はもとより背景までがくねくねとスウィングするところが魅力的です。フライシャーの作品はドローイングではありませんが、その作風は、背景をどんどん変化させ動かしたいというフランクリンと意外に似ているのかもしれません。


【ドローイング・アニメーション】
ちなみに、フランクリンのようなドローイング・アニメーションは、個人でアニメーションを制作する作家にとっては、親しみやすい手法のようです。有名なところでは、色鉛筆を使うフレデリック・バック、アクリル絵具を使うジョルジュ・シュヴィツゲベル、ガラス板に油絵具で描くアレクサンドル・ペトロフ、砂で絵を描くキャロライン・リーフ、ぐにゃぐにゃした線が特徴的なポール・ドリエッセン、アメリカン・インディーズ・アニメーションの人気者ビル・プリンプトンなどの作家が挙げられます。
オートメーション化されたセル画のアニメーションは、できるだけ絵をフラットに描こうとするものですが、ドローイングの場合は作家の絵のタッチがそのまま活かされます。そのため、絵自体が生命を持っているかのようにぐねぐねと変化していく作風が多いように思います。カメラが回り込むような大胆なアングルの変化も、こうした作家に多く見られる特徴です。こうした特徴は、フランクリンのアニメーションにも当てはまるでしょう。


エドウィン・マルハウス】
もうひとつ、オマケの話。ミルハウザーは、処女長編『エドウィン・マルハウス――あるアメリカ作家の生と死』でも、漫画やアニメーションを題材にしています。『エドウィン〜』の主人公は、『まんが』という小説を書いた作家です。つまりミルハウザーは、小説で書く漫画というものに、すでに処女作でチャレンジしているわけです。その意味で、「J・フランクリン・ペインの小さな王国」は、この長編の流れを汲む小説だと言えるでしょう。仮に『エドウィン〜』が、2時間10分のアニメーションだとすると、「J・フランクリン〜」は40分くらいのアニメーションといった感じ。この『エドウィン・マルハウス』も傑作なので、いずれ読み返したいなと思っています。