『三つの小さな王国』スティーヴン・ミルハウザー 【3】

「J・フランクリン・ペインの小さな王国」第IV章。

雪は降りやみ、大きな吹きだまりをあちこちに残していった。ポーチの階段はすっかり吹きだまりに埋もれ、居間の窓枠にも雪が吹きつけていた。それからまた雪が降ってきて、何十億ものぎらぎら光る、しかし目には見えない六角の模様で世界を覆いつくした。フランクリンは寒い台所の窓に、ステラのために綺麗な雪の絵を描いてやった。氷のとげと氷の針状葉、氷のシダと氷の羽根、見えない磁石に引き寄せられた氷の鉄くず。やがて太陽が顔を出し、何もかもが融けてぽたぽた垂れた。五十センチはある精妙なつららが軒先からぶら下がって、吹雪で薄暗くなっていたポーチを、陽を浴びてきらきら透明に光る鍾乳洞に変容させ、一滴また一滴とつららはしずくを雪の地面に垂らし、きらきら光るつららの先端でその一滴一滴の一部がまた凍って、つららはひそかに少しずつ長くなっていった。と、突然、一本のつららが落下して、尖った先端から雪のなかにつっ込んで姿を消す。小さな黒っぽい鳥が一羽、驚いてまぶしい青空に飛び出していき、空に溶けていった。そしてまた雪が降り、そしてまた太陽が顔を出した。朝、駅へ向かいながらフランクリンは、一夜明けて忽然と現われた新しい雪だるまの数を数え、病に襲われてぱっくり割れた体で横たわる古い雪だるま――頭はこっち、壊れた胴と石炭のかけら三つはあっち――を眺め、そしてある日、雪の色をしたライスペイパーから顔を上げて、出来上がったことを知った。

フランクリンのアニメーション『十セント博物館の日々』の完成です。
それにしても、この時間経過の描写の見事なこと。雪景色の変化を高速カメラで追っているみたい。いや、むしろ、アニメーションの表現方法に似てるって言ったほうがいいでしょう。小説では「やがて3カ月が経ちました」と書けば時間の経過を表すことができます。しかし、ミルハウザーはそうしない。あえて、そうしないんです。アニメーションのように、自然の変化を一つの流れの中で描くことにより時が流れたことを表します。
では、もう一つ。ある朝、フランクリンがオレンジジュースを作るシーン。

丸々としたフロリダ産オレンジをパン切り台の上で二つに切り、果汁をたっぷり含んだそれぞれの半分をジューサーのとんがりにぎゅっと押しつけて絞り、種が落ちていないかどうかていねいに確かめる。フロリダの果樹園で陽をたっぷりと浴びた木から摘んだオレンジたちを詰めた木箱を積んだ貨物列車が時速九十キロで夜を疾走し、ジョージアを抜け、南北カロライナを抜け、ヴァージニアを抜けてはるばるニューヨーク州にたどり着き、二の腕の血管が盛り上がったたくましい男たちによってトラックに載せられ、北部の村々のよろず屋まで運ばれていく。それもみなひとえに、彼、フランクリン・ペインが一ダースの完熟オレンジを購入してわが家の台所に立ち、妻と娘のためにオレンジジュースを作らんがため。実に驚くべき話ではないか――毎朝澄んだガラス壜に入って届く、クリームがてっぺんにこびりついた牛乳と同じくらい、あるいは、がっしり頑丈な樫の窓枠に支えられた大きな窓から注ぎ込む、明けゆく空と同じくらい。そう、世界全体がひたすら彼のもとに注ぎ込んできていた。

ここでは、一連の文章の中でオレンジの移動が描かれていますが、これも僕にはアニメーション的な表現に思えます。カメラアイのような視点でオレンジの旅を描いている。地名がいくつも出てきますが、これも地図の上を列車が走ってるという、アニメーション的なイメージを連想させます。極端なパースで列車がぐーっと迫ってきて、フランクリンの台所まで飛び込んでくるようです。そして、目の前のオレンジからパーッと視界が広がるような、この解放感。いいなあ。すごくいい。
でもこの時期、フランクリンはアニメーション制作から一時的に離れているんですよ。つまり、この解放感はそこからきている。皮肉ですね。アニメーションは、彼を夢中にさせると同時に、じわじわと追いつめてもいたわけです。
そんなフランクリンを再びアニメーション制作に引き戻したのは、娘のステラです。病気になった彼女にパラパラ漫画を描いてやったことがきっかけで、彼はまたアニメーションへの情熱を取り戻します。
ステラは、「あたし、死んだらずっと目を開けとくの」なんてことを言ったりする内向的な少女。彼女についてあまり詳しくは描かれませんが、パラパラ漫画以降、おそらくフランクリンのアニメーションの最もよい観客となります。
そして2作目のアニメーションがついに完成します。タイトルは、『真夜中のおもちゃたち』。どんな作品かは書きませんが、これまたすこぶる魅力的なアニメーションです。

完成までに一年五か月かかった。もうこれまで百回、五百回と見てきた。背中は痛み、こめかみは疼いたが、これがいままでに作られたどんなものとも違っているという自信はあった。


ということで、今日はここ(P91)まで。作品の素晴らしさに比例して彼の体は蝕まれていく、そんないやーな予感がします。