『三つの小さな王国』スティーヴン・ミルハウザー 【2】

「J・フランクリン・ペインの小さな王国」の続き。第III章です。
フランクリンは新聞社の美術部に勤め、日々新聞漫画を描いています。現在連載している漫画は二つ。
一つは、「都市の怪人」というタイトルの作品。

遠い街からやって来た、幽霊のような力を持つ怪人が、毎回違った場所に入り込む。真夜中のメトロポリタン美術館の、エジプトの遺物が陳列されたホール。グランド・セントラル駅の地下道。青白い顔の女たちが何列にも並ぶミシンテーブルに向かっている(後景に退くにつれてミシンはだんだん小さくなっていく)ブラウス工場の屋根裏。自由の女神の頂上に通じる螺旋階段。バウアリーの飲み屋街の煙たい酒場。怪人は毎回誰か苦しんでいる人間に出会い、その人間が口にする願いをたちどころに叶えてやる。

地下道、屋根裏、螺旋階段…。ここに登場する舞台の魅力的なこと。それにしても、前章のショーウィンドウの場面同様、ミルハウザーは「列挙癖」がありますね。「カタログ趣味」って言ってもいいかもしれない。こうした描写が、この小説の大きな読みどころだと思います。フランクリンはこの漫画で、ストーリーよりも丹念に描き込まれた背景に力を注ぎますが、それはそのまんまミルハウザーのスタイルにつながります。
もう一つの作品は「いたずらフィガロ」。

そのキャラクターとは、だぶだぶのズボンをはき、大きなボタンのついた上着を着た、悪賢い、だが憎めない笑顔を浮かべた小さな猿である。第一回の最初のコマで、猿のフィガロは牢屋に入っている。次の四コマで、猿は鋸でコマの枠を切り進んでいき、ついには脱走して、最後のコマではコマ枠の上に立っていた。ある回ではフィガロがコマ枠をジャングルジムとして使い、ある回ではコマの両側の縱枠をどんどん内側に引き寄せていって、六コマ目では自分も鉛筆のように細くなっていた。

つまり、コマ自体を漫画のストーリーに取り入れちゃうっていう、ある種メタ的な実験漫画です。でもこれ、一見なるほどと思わせられるけど、どんな絵になるのかを想像するとちょっとよくわからない。「コマ枠の上に立っていた」って、どんな状態なんだ? この不思議な感覚が面白い。架空の漫画を小説内ででっちあげることに、ミルハウザーはすごく意識的です。これはおそらく、小説でしか表現できない漫画でしょう。
さらにこの章では、フランクリンの同僚、マックスという人物が登場します。快活で洗練されていて頭が切れる、いかにも都会人といった風情で、フランクリンより2歳年上の漫画家です。どうやら彼は、内向的なフランクリンの唯一の友人のようです。
ある日、フランクリンは、自宅にマックスを招き家族を紹介します。さらに、自分の密やかな愉しみ、作りかけのアニメーションを見せます。ついにここで、「秘密の」アニメーションの全貌が明かされます。これから読む人のために詳しくは書きませんが、かつて足繁く通った十セント博物館を舞台にした幻想的な作品です。全てを観終えたマックスは、その出来栄えと、それにかけた膨大な手間に驚きを隠せません。

マックスは険しい目でフランクリンを見た。「君、わかってるだろうな、自分が狂っていることが? 柔らかい壁の個室に閉じ込められた掛け値なしの狂人さ。なあ、わかってるんだろ? このドローイング、全部一人でやってるのか? 僕の知ってる男でな――」
「正気でいたいとなんか思わないね」とフランクリンは言った。

マックスは、作業の効率化のためにセルロイドのシートを使うことを勧めます。いわゆる「セル画」ってやつですね。セルを使えば背景と前景を分けて描くことができるため、動きのない背景を何枚も描かなくてすみます。でも、フランクリンはは背景をたっぷりと描き込みたいんですよ。そしてそのすべてを動かしたいんですよ。それを、たった一人でやりたいんですよ。
これは、狂った情熱とでも言うべきものです。ある種の狂気がこの魅力的な作品を生んでいることは間違いない。でも、そのことが彼を追いつめていきそうで、不安な気持ちにさせられます。「業」、かな。芸術家特有の業。これがあるからこそ、ジレンマに悩むわけです。


というところで、今日はここ(P55)まで。いよいよ、彼のアニメーションが完成します。