『天の声・枯草熱』スタニスワフ・レム 【14】

「パリ(オルリー―ガルジュ―オルリー)」の章にいきます。


冒頭では今回もまず、花粉症について語られます。

わたしはオルリー空港のホテルで〈エール・フランス〉で一泊した。(中略)鼻がむずむずしはじめたので、寝る前に窓を閉めなければならなかった。思えば、まる一日のあいだ、わたしは一度もくしゃみをしていない。

だからどうしたという気もしますが、タイトルにもなっているので、どうしても花粉症について語られている部分に目がいきます。今後の展開に何か関係がありそうななさそうな。
主人公である「わたし」は、ガルジュという地方に住む著名な情報学者であり、警視庁の科学顧問でもあるバルト博士を訪ねます。そして、自分が調査している事件の解決への協力を仰ぎます。

このパズルの断片は、一つ一つ別々に取り出してみると明瞭なのですが、全体としてまとまると、まるで雲をつかむような有様なのです。

「わたし」はこう博士に打ち明け、いよいよ彼の任務の全貌が語られ始めます。ああ、長かった。ここに来るまで長かった。これまで、「わたし」が何のためにいろいろ不可解な行動を取っているのか、はっきりと語られることはありませんでした。「わたし」の行動ひとつひとつはわかるのですが、それがどういった目的でなされているのかがよくわからない。ここまでの語りそのものが、すでに雲をつかむようなものだったのです。
しかし、このあとで、「わたし」が語る奇妙な事件の説明を聞いても、このぼんやりとしたわけのわからなさは消えません。「で、どういう事件なの?」ってのが、やっぱりわからない。
どうやら、ナポリの旅行客が突如奇行の果てに怪死するという事件が、連続して起こっているらしい。調査が進められてきた順に何人もの例が語られます。それも、けっこう詳しく長々と。こうなると、これらの怪死事件の間に何か共通点を見つけたくなりますね。
でも困ったことに、それぞれの例を詳しく語られれば語られるほど、どこに力点を置いて考えればいいのか、僕にはわからなくなってくる。AとBには共通項があるけど、BとCにはまた別の共通項があるといった感じでしょうか。全体像はどんどんぼやけてきてしまう。
事件性があると考えられる事例は11件。怪死といっても死因は様々。明確に殺人と呼べるだけの根拠は見つけられません。共通項は、40〜50代の男性で、みなナポリの湯治場に通っていたということくらいです。そして、その最新の例がアダムズという人物の怪死だというわけです。

一か八か偽装(シュミレーション)作戦を決行してみることにした。つまり、できるだけ犠牲者に似た独り身のアメリカ人をナポリに送り込もうというのである。

はい、やっとたどりつきました。このアメリカ人が、つまり主人公の「わたし」です。偽装作戦とは、アダムズのたどった行動をそっくりそのままなぞり、ナポリからローマへ向かってみるというもの。この小説の最初の章で語られたのはその「偽装作戦」だったのです。
それにしても、補欠の宇宙飛行士が、怪死した人物そっくりに行動するというのは、ちょっと面白い。まるで、「補欠の犠牲者」のようです。永遠の二番手。50歳を目前にした花粉症の男。
そう考えると、彼の一人称で語られるこの小説には、どこかくたびれた気分が漂っているように思えます。そういえば、この章の最初のほうにこんな描写がありました。

バルト博士が一階野間度から身を乗り出した。博士は意外と若かった。しかし実をいえばこれは、わたし自身が、まだ自分の年齢に慣れていないだけのことだった。

「中年の危機」、そんな言葉を思い浮かべますね。あーあ、枯草…か。


というところで、まだ章の切れ目ではありませんが、今日はここ(P302)まで。バルト博士、まだほとんど活躍していません。