『天の声・枯草熱』スタニスワフ・レム 【12】

では、『枯草熱』のほうにいきましょう。
妙なタイトルですが、これは「(干草の)花粉アレルギー」のことだそうです。つまり、花粉症ですね。でも、「枯草熱」ってタイトルはなかなかミステリアスでいいです。謎の奇病みたい。
この小説は、「ナポリ―ローマ」「ローマ―パリ」と題された短い二つの章と、「パリ」という長い章の三章で構成されています。これは「都市」を巡る物語かも、と予感させます。もしくは「移動」がテーマかな、とか、
まあ、読んでみましょう。


では、「ナポリ―ローマ」の章です。

最後の日は、いつになく、やけに長い一日だった。とくに神経がとがっていたせいでもない。また恐れていたわけでもなかった。なにはともあれ、ことは起こらなかった。

こんな風にして、この物語は始まります。冒頭の一文から「最後の日」とは! 「ことは起こらなかった」とは! ひねくれています。
語り手である「わたし」は、アダムスという人物の足跡をたどって行動しているようです。そして、保護観察者なるものに観察されている。でも、それがどういうことなのかは、まだ全然わかりません。
「わたし」は、これからローマに向かうらしく、ホテルの一室で荷造りをしているところです。胸部に感知器を取り付け、スーツケースに拳銃をしまう。曰くありげですね。
そして、読み始めて3ページ目でいきなり意外なことが語られます。

地球にもどってから、わたしはこのズボン吊りを愛用している。

ん? 「地球にもどってから」って、お前は誰だ? 今までどこにいたんだ?
しばらくして彼が火星探査計画の補欠要員、つまり宇宙飛行士だったことがわかります。でも、補欠が何故宇宙に行けたのかという疑問は残ります。このように、この小説ではじわじわとしか状況が見えてきません。またしても、じらし!
彼は車でローマに向かい、運転しながらいくつもの思いが浮かんでは消えていきます。読者は、そこから少しずつ現在の状況や彼の人物像などを掴んでいかなければなりません。まだほんのさわりですが、ここいらへんは注意深く読まなきゃ、ですね。
チラチラとランディという人物の名前が出てきます。どうやら彼の感知器をモニターしているらしい。でも、どんな人物かは詳しく語られません。さらに、宇宙飛行についてのあれこれ。これは、絶対、今後の物語に絡んでくると思われるので要チェックです。彼は枯草熱のせいで宇宙飛行の補欠になったとか。出ましたね、「枯草熱」! これまた意味ありげです。
彼は、運転しながら何度もくしゃみをし、クリネックスで鼻をかみます。花粉症の人はわかると思いますが、これはうっとおしいもんです。ハンドル握っているときならなおさら。むずむずするけどどこがかゆいのかよくわからない状態。この何かあるような気がしてむずむずするってのは、まるでこの小説みたいです。
それにしても、この語り手は神経症的なところがあります。追われているのか見守られているのかよくわかりませんが、どこかピリピリしてる。花粉症のせいもあるのかもしれません。

二番目の急カーブ。わたしは、妙なぐあいに誰かの視線が下から這い登ってくるのを感じて、思わず身震いした。まるで、そこに誰かが仰向けに横たわり、シートの下からわたしをひややかに観察しているかのようだった。それは太陽が、舌を突き出したブロンドの女ののった雑誌の表紙を明るく照らしたからだった。

ちょっとヤバいですね、この人。何だってこんなにびくついているんでしょう? こんな状態で運転してて大丈夫なんでしょうか? 不吉なものがいくつも目に入ってきます。テロのニュース、交通事故、人気のない商業展示館でいきなり倒れる少女、雷と土砂降り…。
そして、ローマのホテルに彼はたどりつきます。

これまでわたしは、小学生が授業の時間割を守るように自分のタイム・スケジュールを守るだけで、わたしの前にわたしと同じ道をたどった一人の男のことなどはまるで念頭においてなかった。その男は同じように車を止め、コーヒーを飲み、夜のローマをホテルからホテルへめぐった。男の旅はこのホテル・ヒルトンで終わった。というのも、男はこのホテルから二度と生きては出て来なかったからである。

何と! 「一人の男のこと」ってのは最初に言及されたアダムスでしょう。気になる展開です。
彼は、このあとなかなか寝つけませんが、そりゃそうでしょう。「生きて出て来なかった」ってのもイヤですが、それよりも、そうするつもりがないのに前の男と同じ行動をとっているってのが引っかかります。不条理です。
彼に朝は来るんでしょうか?


全体像をなかなか見せないというのは、『天の声』にも通じますが、遥かに読みやすいです。
小出しにされた謎がまだいっぱい残ってますが、今日は、この章(P223〜246)まで。