『天の声・枯草熱』スタニスワフ・レム 【11】

16日間かけて読み終えて、考えてみるんですが、いろんなところで読み切れてない部分があるような気がしています。このブログでは、理解できたことだけを書いているんですが、作者レムの言わんとしていることがよくわからない部分も、半分くらいあるんじゃないかな。以下、思いついたことを、バラバラと書き留めておきます。


僕が一番関心があったのは、何故ここまでじらしてじらして物語を進めるのか、ってことです。ホガース教授による回想録の目的が明らかにされるのは、最後の最後です。それがわかった上で読んだほうが遥かに理解は早いと思われます。でも、レムはそうしないんですよ。それは何故か。
僕の考えでは、こうです。要するに、「始めに答えありき」では思索をすることにはならないということじゃないかなと。教授の試行錯誤を共に体験することによって、思索の過程を実体験させようとしたんじゃないかと。最後にそれが信仰めいたものまで行くんですが、それはとりあえずの結論のような気もします。それよりも、過程。思索の過程を教授とともにたどることのほうが大切だし、面白い。「天の声」の正体がわからないように、このよくわからない小説を前にして、僕らは思索することを求められているのです。
教授は、何度も先入観でものを見ることの危うさについて語ります。人類の延長線上で考えても「天の声」は解読できないと、くり返し記します。その上で、ペシミズムに陥らないために信仰が出てくるのかもしれませんが、とりあえずそれは置いておいて、前提から考え直すということの大切さを訴えているように思えるんです。
前提を疑わないということは、思考がオートマティックになるということです。で、そのオートマティックな思考が、核兵器の開発などにつながってるんじゃないかと言いたげです。これが書かれた当時は、核問題が深刻化した頃なんじゃないかな。そしてこれは、核ということに限らなければ、今でも十分通用する議論でしょう。


レムの面白さは、この思索を粘り強く詰めていくところにあると思います。ある程度のところで納得しちゃうんじゃなくて、まだわからない、まだわからないと突き詰めて考えていくのです。これは、かなりしんどいけど、どこへたどり着くかわからない分、スリリングです。そして、それがSFというスタイルと結びついているところが、魅力ですね。SFはよく「if(もしも)の物語」と言われます。この「もしも」を詰めていくわけです。
仮説を検証していく様はすごく面白く、いろんなアイディアが湧いては消えていきます。要するに、思考実験です。代表作『ソラリス』でも、「ソラリス学」と称する架空の学問を設定して、様々な仮説とその検証が行われます。思索するということを実践してみせる作家がレムなのです。


その他の読みどころとしては、ホガース教授の入り組んだ比喩が挙げられます。結局何が言いたいのかすぐにはわからないものもありますが、それは、やはり結論を先に提示しないということにつながるんじゃないかな。
もうひとつ、人間に対する厳しい見方も、この小説の特徴でしょう。ここに出てくる学者たちは、セコく身勝手でかつ理念がないように描かれます。これも、思考のオートメーション化につながっているということでしょう。


「わからないことがある」というのが、この小説の根底には流れています。これだけ思索を詰めても、結局、たどり着けないものはあると。しかし、それは思索を詰めた人だけが言えることでしょう。
うーん、最初っから、かなりハードなやっかいな本を読んでしまいました。


ということで、『天の声』については、これでおしまいです。
次は、同書に収録されている、『枯草熱』にいきたいと思います。これは、ミステリーらしいので、もうちょっと読みやすいんじゃないかな。