『天の声・枯草熱』スタニスワフ・レム 【10】


17章、最終章です。
まず、計画に参加している学者たちを集めて、「天の声」、つまり「宇宙からのメッセージ」についての仮説が検討されます。驚きですが、この施設では、これまでそうしたことが行われてこなかったんですね。
仮説は全部で3つ。どれも意外で面白く、〈計画〉の根本に関わるような説です。特にラッパポート博士の仮説がバカバカしくて笑えます。あー書きたいっ。でもここには書かない。計画をクソまみれにしちゃうような仮説なんですが、こーゆーバカバカしい説がロジカルに突き詰められていくところがSFの醍醐味です。
そして、この仮説のどれに転んでも、〈計画〉自体を破棄したほうがいいという結論に落ち着きそうな気配です。
結局、教授は〈計画〉の最後に立ち会うことなく、研究施設をあとにします。


再三くり返してきたように、教授は、この「メッセージ」の解読は不可能だと考えています。しかし、誰かが意志的に送ってきたものだということは、信じている。しかもそこに、「善意」といったものまで感じています。
これは、ちょっと変ですね。「メッセージ」を、人類には理解できないような未知のものとして捉えておきながら、人類のような意思を持っていると考えるのは理屈に合いません。

あれだけしっかりとした論拠に裏づけされていたというのに、どうしてあんなに自信をもって異なった見解を叩くことができたのだろうか? その確信がどこからでてきたのかつきとめようとした。われわれが手に入れたものは「手紙」だと私は確信していたからだ。自分にとって非常に重要なのは、読者にその信念を伝えることではなく――そんなことは取るに足りないことだ――それがどんな論拠の上に立っていたか、ということだ。それをうまく伝えられないとしたら、この本を書くべきではなかったということになる。要するにそれがこの本の目的だったのだ。

はい、とうとう本当の目的がここで明かされました。これまでいくつもの仮説を挙げ、それを論駁してきた教授ですが、そのコアにはこの信念があったわけです。しかし、一方でその信念の内容については、「取るに足りないことだ」と言う。教授が伝えたかったのは、いかに信念がくり返し検証にさらされ粘り強い思索を経て組み立てられていくのか、ということです。
この本で延々繰り広げられた思索やディスカッションは、すべてこの「信念」を組み立てるためにあったのです。容易に権力に流されてしまう学者たちを皮肉っていたのも、そこに「信念」がないからでしょう。考えて考えて、ひとつの信念に至る。ペシミストでシニカルな教授ですが、その信念により、ある種の救いを与えられているようです。
それは、信仰に近いと言ってもいいかもしれません。解明できない「宇宙からのメッセージ」は、教授にとってまさに「天の声」だったのでしょう。


それにしても、こうやって読み終えて思うのは、考えることの面白さと難しさです。ここに記されている様々な思考は刺激的で、ものごとを宇宙レベルで見るという視点を与えてくれます。でも考える前提から疑ってかかると、それこそ堂々めぐりになってしまう。当たり前のことなんか何もないという状態から考えるってのは、なんて難しいんでしょう。
そこから信仰に至るかどうか。僕は何とも言えませんが、この本で描かれたのは、その長く困難な道のりだったのだなあと思います。


ということで、『天の声』読了です。