『天の声・枯草熱』スタニスワフ・レム 【7】

7〜9章まで、一気にいっちゃいます。


まず7章から。

自然科学者、環状プロセスの概念からなにを連想するかと訊けば、まず最初に、生命だ、と答えるだろう。

ということで、例の信号から読み取った「環状プロセス」がある生物を表していることを、生物物理学と生化学の各グループが、それぞれ別個につきとめます。そして、その生物を実体化することに成功し、それをそれぞれ「蛙の卵」「蝿の王」と名付けます。
いや、僕もよくわかってないですよ。わかってないけどそういうことらしい。この生物、普段は液体で、ある条件下ではゼリー状になるそうです。とは言うものの、いやな名前だなあ。

ところが、「手紙」の配達人であったニュートリノの光束のほうは、驚くべき性質を見せたのだ。

そしてもうひとつ、ロムニイという生物学者が、まったく別の角度から新しい発見をします。例のニュートリノ放射線を当てた高分子溶液は化学的により安定する、というのがその発見。
これまたよくわかんないけど、例えば、太古の海にこの放射線を当てると生命が発生しやすくなるといったことがあるそうです。
ここで問題になるのは、手紙の内容(蛙の卵)と書かれている紙(ニュートリノ)に、それぞれ別の役割があるということです。
というところで、先に進みます。


8章。
先の二つの発見は、何か関係があるんじゃないかと考えるのが普通ですね。でも、各専門に閉じ籠った学者たちはそうは考えないみたいです。そして様々な研究者がそれぞれ独自の研究を行い、徐々に〈計画〉が混迷の度を深めていく様子が描かれます。

たしかに一本の樹を研究しているのだが、その背後には森の絵が隠されていて、それがしだいに見えにくくなっていく

教授はこう記しています。個別の研究はどんどん進められていきますが、全体像が把握できなくなっていくのです。そして、森の絵を描こうとしてもどうにも根拠に乏しい仮説しか生れません。
そうした〈計画〉の状況について、相変わらず教授は容赦ありません。

こうした憶測はすべて、ありふれた工学的解釈としてわれわれの文明が持っている概念の、貧弱な兵器庫から借用したものであった。そうした概念は、SFのテーマからも影響されていたが、とくに世紀の半ばごろ合衆国の外で流行したアメリカ的社会生活の反映であった。そして一見大胆そうに見えながら、その実、哀れなほど素朴なそうした仮説を聞くと、われわれの空想力はあまりにも月並みで、それが地球の限られた歴史時代の狭い隙間に閉じ籠っているように思えた。

科学だってSFだって、その社会における発想から抜け出すことができてないじゃないかと。そんなんじゃダメだ、と考える教授も、じゃあもっとマシな森の絵が描けるのかといえば、それはできないんですね。二つの発見の関係に注目しそこから全体像を導き出そうとしてるのですが、絵を描いては消し、描いては消しをくり返すばかり。
すっかり、袋小路に入ってしまいました。


9章いきます。
SFについては、ここでも言及されます。

科学めかした物語の作家たちは、大衆が求めているものを彼らにあたえているのだ。つまり、わかりきったこと、自明の理、紋切り型をだ。それは読者が危険のない驚異(ワンダー)に没頭できて、しかも自分の人生哲学から足を踏み出さないでいられるよう、たっぷりと粉飾し、姿を変えてあった。

教授は、どうもSFがお嫌いのようです。いや、SFが嫌いなんじゃなくて、結局、読者が「考えないですむ」ということが気に入らないんでしょう。そして、〈計画〉に関わる研究者たちも、「自分の人生哲学から足を踏み出さない」という点では同じに映っているようです。
疲れ切った教授は、同僚との対話に気晴らしを求めそれを楽しみますが、そう言うわりに、どうにもあまり楽しい話は出てきません。人間の破壊性とか、嫉妬とか、倫理の欠如とか。そして、またしても「核」です。

あなたは原爆の茸雲の色ほど美しいものがこの世に存在しないことをご存知だろうか?

これはラッパポート博士のセリフですが、もちろん彼は原爆を肯定しているのではありません。その恐ろしさについて語っているのです。
さらに、人口増加の解決策として、こんなことも話し合われます。

人体の洪水を前にしてそれから助かるには核戦争以外に道はないと考えている者もいた。

そして、放射能を浴びた遺伝子が奇形を産み出さないように、種の増加を管理する法体系を作る。才能ある人間の精子を残すため結婚制度を管理し、性的欲望を除去する脳手術が必要になる。と、この話題はエスカレートしていきます。
これこそ、SFです。しかし、権力がそうしたシナリオを描いたとき、「考えないですむ」のであれば、科学者はどんなことでもやるだろうと教授は考えています。もちろん、教授だってこうした考えを肯定しているのではありません。そこに科学の果たす冷徹さを見ているのです。
この〈計画〉もそれと同じようなものじゃないかと、教授は言いたげです。教授は、〈計画〉を「レモン搾り(スクイーズ)作戦」と呼びます。宇宙からのメッセージを搾れるだけ搾り取れ、という皮肉をこめて。
そして、この章の最後はこう締めくくられます。

われわれがそうした夕べの談話のひとときを楽しんでいたのは、MAVO計画も二年目に入り、「レモン搾り作戦」がもはや皮肉ではなく、やがて不吉な意味を持つようになることを告げる悪い予感がひしひしと身に迫ってきはじめたころのことであった。

そうでしょうとも。楽しんでいたとしてもどこか不穏な話だったわけだし。というか、この回想録自体にいい予感なんて出てきやしないんですが。

というところで、今日はここ(P130)まで。レモン搾りの不吉な意味、気になりますね。