『短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・ソーンダーズ


短くて恐ろしいフィルの時代
久しぶりの更新です。今年初。「読み終えたので書いておく」シリーズをやります。なんか、久々で書き方を忘れちゃってる感はありますが、ピンチョン再開への助走のつもり。前もそんなことを言ってた気もしますが、まあいいや。
今回はこれ。
『短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・ソーンダーズ
です。
朱色の表紙で、小口まで朱に塗られているのが何だか禍々しい。全く未知の作家だったんですが、訳者が岸本左知子さんでえらくヘンテコな話らしいと聞いたもんで。岸本さんと変な話、最高の組み合わせじゃないですか。しかも、わりと短めで読みやすそう。
ということで、読んでみたら、想像以上にぶっ飛んでました。デタラメでバカバカしい寓話、という感じ。ページをめくるたびに、とんでもなくイカレた設定が出てきていちいち笑えます。
どんな設定かというと…、というところからいきます。


まずはいつものように冒頭から。

国が小さい、というのはよくある話だが、〈内ホーナー国〉の小ささときたら、国民が一度に一人しか入れなくて、残りの六人は〈内ホーナー国〉を取り囲んでいる〈外ホーナー国〉の領土内に小さくなって立ち、自分の国に住む順番を待っていなければならないほどだった。
外ホーナー人たちは、〈一時滞在ゾーン〉にこそこそ身を寄せあって立っている内ホーナー人たちを見るたびに何となく胸糞がわるくなったが、同時に、ああ外ホーナー人でよかったとしみじみ幸せをかみしめた。

いきなりかましてきますね。びっくりです。人が1人いるだけでいっぱいになっちゃう国。ちっちゃすぎ! しかも、国民は7人。少なすぎ! でも、国土からはみ出しちゃう! いろいろと僕らが思ってるような常識とはかけ離れていますが、そう書かれてるんだからしょうがない。この設定だけでもうすでにムチャクチャなんですが、内ホーナー人は自国に入る順番待ちをしている間、ややこしい数学の証明問題を解いて時間をつぶすとか、そうした様子を外ホーナー人はカフェの通路に脚を思いっきり伸ばしてさげずんだ目で見ているとか、そういう妙なディテールが可笑しいんですよ。さらにちょっと読み進めると、このホーナー人たちの姿形は僕らが思っているようなものではないことが、わかってきます。

フィルは国境ごしに一人の内ホーナー女性に恋をした。全体的に縦長で、やや左に傾いているキャロルだった。彼女の黒くつややかなフィラメント、振り子のように揺れ動く半透明の皮膜、露出した背骨のゆるやかなカーブ、毛皮におおわれたグローブ状の突起物でしとやかにベアリングを掻くしぐさ、そのすべてにフィルはぞっこんだった。フィルは彼女の気を引きたい一心で、何気ないふうをよそおって〈内ホーナー国〉のまわりを何時間もぐるぐる歩きながら、中央部の嚢(のう)を膨らませたりしぼませたりして男性的魅力をアピールしたが、無駄だった。キャロルにはキャルという、巨大なベルトのバックルに青い点を一つくっつけて、それをさらにツナの空き缶に接着したような感じの内ホーナー人の恋人がいたのだ。

え、人間じゃなかったの? 「半透明の皮膜」に魅力を感じるとか「中央部の嚢」で「男性的魅力をアピール」ってのは、筒井康隆の作品に出てくる異星人みたいなものを想像してしまいます。でも、ベルトのバックルとツナ缶でできてるとなると、もう何が何だかわかりません。フィラメントとかベアリングとか、どうなってるんでしょう? 生物と機械が混ざったような奇っ怪な人々。人って言っていいのかもわかりませんが。僕がイメージしたのは、ガラクタで作った人形アニメーション。いや、エストニアなんかにそういう作品があるんですが、知ってる人はほとんどいないだろうなあ。
この〈内ホーナー国〉がさらに小さくなって、中に住んでいた内ホーナー人の体が国外へはみ出してしまう。それを見た、平凡な外ホーナー人のフィルが彼らから税金を徴収することを提案する。それが、他の外ホーナー人たちに支持されたところから、フィルはぐんぐんと権力を手にしていき独裁者まで上り詰めるというお話です。でも、フィルはどうやって人々を魅了したのか? 独裁者の誕生に欠かせないのが、演説です。では、フィルの演説の一部をお聞きください。

「私はつねづね考えてきた、われらが美しい祖国のことを! 誰がこれをわれわれに与えたのか? 全能なる神は、この美しく広々とした土地を、われわれはすばらしく優秀な民族であることのほうびに与えたもうたのだ。われわれは大きく、力強く、そして心も広い。(中略)われら外ホーナー人に美点があるとすれば、それは寛容なことである。われら外ホーナー人に欠点があるとすれば、それは寛容すぎることである! このケチな連中が小さなみじめったらしい土地しか与えられなかったといって、それがわれわれの落ち度であろうか? 否! 全能なる神が彼らにこんな小さなみじめったらしい土地しかお与えにならなかったのは、神に何かお考えがあってのことなのだ。(中略)私のやるべきこと、それは全能なる神がわれたに与えたもうた、この大きく広々とした国土を、享受し、そして護ることのみである!」

おおっ、独裁者はこうでなきゃいけません。まず、内と外、「彼ら」と「我々」を明確に分けるわけです。そして、優劣をつける。我々は優秀で寛大である。しかし、ヤツらは劣っているくせに、我々の寛容さにつけ込んで要求ばかりしてくる。これ以上ヤツらの言うことを聞いていたら、我々が脅かされるぞ。とまあ、そんな感じ。知らないところで勝手にやってる分にはいいんです。でも、内側にいるとなると、目障りになってくる。この文法は、ナショナリズムを煽る演説にいかにも出てきそうですね。要求をする弱者というのは、いつの時代も権力者にとってはジャマなんですよ。
いや、「権力者にとって」ばかりとは限りません。こうした演説が支持されるっていうことは、僕らの中にもまた「あいつら弱いくせにつけ上がりやがって、生意気なんだよ」みたいな気持ちがあるってことでしょう。実際、何故か政治家のような立場に立って似たような発言をする人を、ネットでもチラチラ見かけたりするでしょ。そう考えると、この小説は独裁者の姿を戯画化して描いているだけじゃなく、それを支持してしまう僕らの姿も含めた独裁者誕生のメカニズムを描いている、ということになります。
本来であればフィルの台頭をなんとかしなきゃならない外ホーナー国の大統領は、過去の栄光にしか意識が向いておらず役に立ちません。この大統領とフィルの接見シーンも可笑しいです。

「フィルよ!」と大統領は言った。「会えてうれしく思うぞ! フィルで合っておるかな? 思い出すぞ、あの国境での日のことを。なんと楽しいひとときであったことか! もう二度とあのような日々は戻ってこないのであろうな。さあ、座るがよい。余はどんな風に見える? 前よりもさらに太ったであろう? それに悲しげであろう? このところ、余は悲しいのだ。余が何を考えていたか、わかるか? たった今? 余はな、そなたがここに入ってきたときのことを考えておったのだ。覚えておるか? そなたに会えて、なんとうれしかったことか! 今もありありとその時のことを思い出すぞ! もう二度とあのような日々は戻ってこないのであろうな。もう一つ懐かしく思い出すことがあるのだが、何だかわかるか? そなたがここに入ってきたあと、座るがよい、と余が言ったときのことだ。覚えておるか? そなたがいま座っている椅子を余がこう、手でぽんぽんと叩いたときのことを? おお、美しき思い出よ! すばらしき時代よ! もう二度とあのような日々は戻ってこないのであろうな。(後略)」

ボケちゃってるというか、数分前の出来事が、あっという間に過去の輝かしい思い出に変わっていく。これじゃあ、話なんかできやしません。もう自分のことにしか関心がないんですよ、大統領は。「我々」と「彼ら」どころか、自分しかない。これまた、無関心を決め込む僕らの姿にちょっと似ている。いやだなあ。
一方フィルは着々と力をつけ、ボディーガードというか「親友隊」を雇います。雇われたのは、家を丸ごと抱えられちゃうくらいの巨人の若い兄弟。要するに、戦力ですね。この兄弟、フィルがちょっと褒めたからって「フィル様のためなら何でもやります!」状態になっちゃうのが可笑しいです。

フィルの親友隊の二人は隅のほうに座り、フィルがそれぞれのために吹き込んだ「おほめテープ」をヘッドフォンで聴いていた。
「ワーオ、すげえ!」ジミーが大きすぎる声で言った。「いま、俺の二の腕はすばらしく太いって言ってくれたぜ!」
「俺だって」ヴァンスも大きすぎる声で言った。「いま、命令を実行しているときの真剣な顔つきがいいって言ってくれたぜ!」
「俺が誰かをつまみ上げるときの背筋の盛り上がりがいいって!」ジミーがどなった。
「俺には協調性がある!」ヴァンスがどなった。
「俺には他の誰にもわからない深い知性がある!」ジミーがどなった。

「おほめテープ」! しかも、キャッキャと大喜び。何度もリピートしちゃうくらい嬉しいんでしょう。これを、単純だとか頭が弱いとかって笑うこともできますが、どうなんでしょうね。彼らにそう言ったところで、「だったら知性があるって言ってくれるフィル様についていくよ」ってなことになるに違いありません。つまり、彼らの承認欲求を満たしてやったのが、フィルだけだったってことです。例えば、僕はオウム真理教のことを思い出します。麻原彰晃は、果たして信者たちを恐怖で支配していたんでしょうか? それだけじゃないと思うんですよね。やっぱり、彼らを認めてやるというか、そういうことをしていたんじゃないかと。
この他にも、フィルに認められたくてお追従をいう国境警備員、勝ち馬に乗ろうと大統領を裏切りフィルにつく家臣、ビッグニュースに浮き足立ってフィルの演説を報道するマスコミなどなどが登場します。つまり、周囲が独裁政治を確実なものにしていくんですよ。別に独裁政治に限らなくてもいいか。この間の震災でも、同じような光景をたっくさん見ましたね。
と、3/4ほど読み進んだあたりで転調。このあと何が起こるかは読んでのお楽しみですが、人形アニメーションに実写の手が出てくるような、ぶっ壊れた「創世記」といった感じの展開。数日間で大統領に上り詰めたフィルはあっという間に転落していく。「短くて恐ろしいフィルの時代」が終わりを告げます。
しかし、めでたしめでたし、なんでしょうか? そうじゃないことは、僕らがよくわかっています。フィルがとんでもなく邪悪なモンスターだった、ということじゃあないんですよね。独裁誕生システムが作動しちゃえば、いつでもどこでも独裁者は誕生するんですよ。

彼女はときどき何時間も藪の中に座り、なぜだか自分でもわからないままに、よりよい世界を夢に見る。彼女やサリーのように、偉ぶらない、ずんぐりしたボール型の体つきをした人々によって支配され、いつだって短いセンテンスで、わかりやすい正義が語られる、そんな世界を。

そう、「よりよい世界を夢に見る」という善意や正義から、始まるからやっかいなんです。だから、ゲラゲラ笑いながら読んでいるうちに、居心地が悪くなってくる。「冗談みたいだけど、こーゆーのって実際もあるよね」って気持ちになってくる。そして、僕らもまたこのシステムの一員だということに気づかされる。それが、ちょっとしたきっかけで動き出さないとは言えません。ああ、なんて可笑しくって、なんておっかない話なんでしょう。まさに「短くておそろしい」小説です。
ワーニン、ワーニン! 「いつだって短いセンテンスで、わかりやすい正義が語られる、そんな世界」に、ご注意を。