『奴婢訓』スウィフト 【5】


こうして『奴婢訓』を読み終えましたが、スウィフトの意図は、召使いたちの悪癖を風刺することにあったそうです。いわゆる「イヤミ」ですね。クスリとも笑わずに、辛辣なことを言ってみせる。
召使は、一見真面目で礼儀正しく見えますが、腹の中には企みを隠している。隠しているからこそ、企みなんですよ。そして、この本も、「召使い心得」という見た目のスタイルの裏側に、別の企みを隠しているというわけです。皮肉は、もっともらしければらしいほどキツいものになります。
確かに、ここにあぶり出される召使たちは揃いも揃って、怠け者で、欲深く、見栄っ張りで、せこく、傲慢です。そして、ある意味たくましく思えてくるくらい、小賢しい。でも、そんな彼らになぜご主人様は出し抜かれてしまうのでしょう? 僕が思うに、主人もまた、怠け者で、欲深く、見栄っ張りで、せこく、傲慢だからじゃないでしょうか。人間のいやらしい部分につけ込んで、召使いは様々な知恵を働かせます。ということは、どっちもどっち。人間ってのは、こんなに身勝手で下劣ものなんだということが見えてきます。
ここまでくると、もう召使いを笑うことはできません。だって、召使いの性質として描かれているものは、ことごとく、僕たちに当てはまるじゃないですか。スウィフトはおそらく、「性悪説」や「人間嫌い」というタイプの作家なんでしょう。まったく容赦がありません。


では、最後に『奴婢訓』本編ではなくて、併録されているエッセイというか論文を読んでみましょう。
タイトルは、「貧家の子女がその両親並びに祖国にとっての重荷となることを防止し、且社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」。
これは、かなりな問題作です。要するに貧乏人の子供は、その両親にも国家においても重荷であると。そこで、その負担をなくし社会に有効に役立てる方法を提案しましょうという一文。
まず、こんな風に書き出されます。

このダブリンの町を歩き、又は田舎を旅行する人々にとって、街路や人家の戸口に女乞食が群(むらが)り、襤褸(ぼろ)を着た三人、四人、六人の子供達が後(あと)にくっつき、道行く人に施しを乞うている様を見ることは、実(まこと)に憂鬱な光景である。

この子供達を養うために、両親は苦しみ、国家の財政はひっ迫するといった論調です。スウィフトの暮らすアイルランドは国家的な窮乏にあえいでいたようです。彼によれば、産まれる20万人の子供のうち、まともに育てられるのは3万だと言う。さらに5万は病気や事故で亡くなるので、残る12万人が貧しい子供の数であり、それを養い育てていく手だてはまったくないと断じています。
そして、いよいよ恐ろしいことを言い出します。

ロンドンで知合になった大変物識のアメリカ人の話によると、よく育った健康な赤ん坊は丸一歳になると、大変美味(うま)い滋養のある食物になる。スチューにしても焼いても炙(あぶ)っても茹(ゆ)ででもいいそうだが、フリカシーやラグーにしてもやはり結構だろうと思う。

そうです。貧しい家庭の子供は、1歳になったら国中の富豪や貴族に食料として売りつければいい、というのがこの「私見」です。律義にその経済効果を計算し、料理法まで解説し、さらに、こう続けます。

始末屋は(時制の然らしむる所、やむを得まい)殺した赤ん坊の皮を剥ぐとよい、上手に加工すると、淑女用の立派な手袋、紳士用の夏靴が出来る。

とんでもない話ですが、スウィフトはあくまでポーカーフェイスで、この提案にはいかなる利点があるかということを、次々と挙げていきます。読者を説得にかかる。例えばその利点の一つが、「堕胎という恐ろしい習慣の防止」です。もっともらしく書いてますが、これ、ねじれてますね。だって、赤ん坊を食べるほうがよっぽど恐ろしいじゃないですか。
もちろん、スウィフトは本気でこの恐ろしい説を唱えているわけではありません。ロジックのねじれをわざと取り入れていることからもわかるように、これは国の貧しさへの「裏返しの糾弾」といったものでしょう。こういうことは、大真面目に言っているように見えれば見えるほど、衝撃は大きいわけです。ここでも、スウィフトは容赦ありません。

私自身としては、数年来空しい無駄な空想的な意見を提出することに疲れ、遂に成功の望みは全く絶つに至ったのだが、幸いにも上に述べた私案を思いついた次第で、これこそ真に本物と感ぜられる所がある、

「これまで様々な提言をしてきたが空しい」ってのは、本音かもしれません。最近の議論でもよく理想論と現実論といった対比がされますが、この「私見」は「空想的ではない=現実論」だと言いたげです。そして、スウィフトは現実論の暴力性を極限まで押し進めてみせ、「あんたらの望む世界はこれだよ」とあざ笑っているように思えます。

このアイルランド中に人間の形をした生物(いきもの)がたっぷり百万は居るが、今仮りにその生活の資を全部一まとめに共通財産として考えてみると、二百万磅の借財が残る勘定になる、

「人間の形をした生物」という言い方に、スウィフトの不機嫌そうな顔が見えてきます。


ということで、「貧家の妻子が〜私案」も含め、『奴婢訓』、読了です。