『天の声・枯草熱』スタニスワフ・レム 【17】

『枯草熱』を、読んでる最中は手探りで霧の中を進むような気分だったんですが、読み終えた今、振り返ってストーリーを要約しようとすれば、それほど複雑じゃありません。事件は、とりあえず解答が与えられます。でも、それはやっぱり一つの解釈に過ぎないんじゃないかと思えてならない。他の解釈だってありえたはずだという気がしちゃいます。その、もやーっとした気分が面白い。結局、一番おいしい部分は何かと考えてみたら、要約されたストーリーにあるんじゃなくて、霧の中を右往左往してるところだったりします。『天の声』同様、これも過程が面白いってことですね。
ストーリー追ってを読むってのは、ある意味主人公が謎の答えを探すのと同じ行為だと思います。世界を「解釈」しようとする態度。でも僕は、「読む」っていうのはそれだけじゃないと思うんですよ。例えば、「解釈」に対して、世界のわけのわからなさを「体験」するってのも、「読む」ことじゃないかなと。主人公は、偽装作戦という形で他人の行動をなぞります。そこでまさしく、世界の多様さに触れることになる。これもまた、「読む」という行為によく似ています。
どちらの「読む」が重要だってことを言いたいんじゃなくって、世界が多様なように、小説もまた多様なものが詰まっているんだよねってのを、改めて思ったわけです。だから、読書は楽しいんだよなと。


なんて1冊目からずいぶんカッコつけて書いちゃいましたが、『天の声・枯草熱』に関しては、これでおしまい。
次回は、スティーヴン・ミルハウザーの『三つの小さな王国』を読もうと思ってます。